August 31, 2012

NEW DOCUMENTARY



もしあなたが すでに金沢21世紀美術館や東京オペラシティアートギャラリーで「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」展を観ていたとしても それは丸亀の猪熊弦一郎現代美術館へ行かない理由にはならない。同じ写真でも 会場が変われば見え方も違うし ホンマタカシ自身の考える展示構成も変わるからだ。

とはいえ かく言うぼくにとっても ひとりの作家の巡回展をすべての会場で観るという経験はこれまでなかったし もしかしたらこれからもないかもしれない。

金沢と東京の展示の違いが このふたつと丸亀の展示の違いに比べたらぜんぜん小さかったと思うほど 今回は劇的に変わった部分があった。それによって新しい発見があり 本質的な理解に少し近づけたような気もする(勘違いだとしても)。例えばぼくは どうしても好きになれなかった作品を「案外 良いかもしれない」と思い始めたし いちばん好きだった作品をこれまでよりもさらに近距離でじっくり観ることができた。そして「その森の子供」の展示方法が 驚きがあってとても良かった。

そうそう。受付から階段で上がっていくか エレベーターで3階に行ってから階段を使って下りてくるかでも きっと印象はまったく違うだろう。ぼくは何も考えずに階段を使ったが いま思うと 上から下へ進むのが正しい順路だったような気がしないでもない。いずれにしても どちらを選ぶかはあなた次第だ。


* 写真は美術館の許可を得て撮影しました。


June 28, 2012

THE NIGHT IS YOUNG



昨夜 すごい音楽をたくさん聴いた。
いつもなら寝てしまっている時間に放送されるものだから 記念すべき初回以外 最後まで聴いた記憶がほとんどない『小西康陽 これからの人生』。池袋のはずれにあるスナックで収録したという昨夜の回は はじめて耳にする音楽ばかりだった(原曲を知っていたとしても 驚きが随所にある)。


店主がインドネシアで手に入れたレコードをかける。アナウンサー(彼の語り口調もまた この夜の音楽に最高にマッチしていた)が質問し 店主が答える。店主の抑揚のない喋り方は眠気を誘うタイプのものなのに 不思議なことにまったく眠くならない。時計を見ながら残り時間が少なくなっていくことを悲しく思いながら聴き続けた。
池袋のスナックは 架空の店ではないようだ。そこへ行くことは 調べればできそうだし きっとぼくの友人たちともどこかでこの店に繋がっているだろう。でも ある夜 寝る前にラジオから流れてきた音楽に耳を奪われて 番組の終わりまで寝ずに聴いたという体験以上のものが そこにあるのかどうかはわからない。誰かが親切に「一緒にあそこへ行きましょう」と誘ってくれても たぶんぼくは臆病だから断るかもしれない。
前後不覚に酔っぱらった夜(なんてことがそもそもありえないのだけれど)酔いを醒すために歩き始めて道に迷い 疲れて仕方なくふらりと入った店で 聴いたことのないような聴いたことのあるような音楽が流れている。そして気づく。「あ もしかしてこれは! そうか ここだったのか…」。もしそこを訪れる機会がめぐってくるとしたら そういうのが理想だ。
昨夜は ザ・ピーナツの伊藤エミが亡くなったというニュースが流れた日でもあった。


May 25, 2012

FATHER'S FATHER



今日発売の『暮しの手帖』に掲載されているぼくの連載「今日の買い物」第三回の旅先は松山。その際に 伊丹十三記念館で偶然にも伊丹万作展を観ることができた。字数が足らず 詳しく書けなかった「企画展示室入口に掲げられた伊丹十三の言葉」を以下に引用する。ぼくにとっての伯父さん的人物のひとりが語る「父」。1995年9月2日に執り行われた「伊丹万作五十回忌」で 伊丹十三が息子に披露した話だ。
フランスのラカンという人によれば
父親の役割は何かというと
「父の父」の言葉を、子どもに伝える ”中間”
であるということらしいのね。
ボクは、その父の父の言葉をですね
子に伝える役割を持っているわけ。
今日は、諸君のおじいさん、つまり「父の父」
伊丹万作さんの五十回忌です。
それでまあ、簡単にお話しますが…
伊丹万作は
自分に誠実な人であった。
自分に非常に厳しい人であった。
自分に嘘のつけない人であった。
彼が生きていた時代というのは
生きることが非常に辛い時代だったわけです。
その頃はちょうど日本が戦争に突入していく
全体主義的な傾向で、軍国主義の国家を
作ろうとしていた時代だった。
本当に自分に誠実な人が、そういう時代に
生きていこうとすると、まず権力というもの
あるいは権力に盲従する日本人というものを
批判しなきゃいけなくなる。
当時の情勢としては非常に難しいことを
やらなきゃいけないという立場に
自分から身を置くことになるんですね。
で、彼の作品を一貫して流れているのは
「全体主義的な国家や社会が、個人の自由
とか権利とか幸せとか尊厳とかってものを
権力でもって踏みにじろうとする時
個人はいかにして、自分に誠実に生きる
ことができるだろうか」
というテーマだと思うんですよ。

May 19, 2012

DESIGNING?



毎年 福岡で開催されている <DESIGNING?> を見てきた。今年が8回目だそうだ。デザインのイベントといえば 正直に言うと ぼくには「あちこち分散した展示会場をスタンプラリーみたいにしてまわったり 著名人のパネルディスカッションみたいなことが中心の ちょっとスカした あれだよね」というような印象しかない。ところが ほんの1日半だったけれど 実際にこの目で見た <DESIGNING> は 格好をつけることに苦心するみたいな本末転倒は見受けられず 暑苦しい熱意をも隠そうとしない 真直ぐな気持ちの良いイベントだった。
中でもすごく感銘を受けたワークショップがあった。とはいえ 実際に参加した訳でもないし ワークショップの様子を見学できた訳でもなく 成果物としての椅子と照明を眺めただけなのだ。それでも とても健全な考え方だなと思えるほどに素晴らしい内容だった。
ロンドンを拠点に活動するヴァハカン・マシアンというアーティスト/デザイナーと ファビアン・カペッロというプロダクトデザイナーの2人が 福岡の市内をまわり家具の材料となり得る廃材を集めてくる。それを使って参加者が家具をつくるというのがワークショップの内容だ。長さも太さも不揃いの角材や板の切れ端がほとんどのようだった。家具をつくるにあたって ヴァハカンとファビアンはルールを2つ設けた。材料を切ってはいけない。1種類の長さのネジしか使ってはいけない(何ミリのネジだったかを忘れてしまった)。となると椅子をつくろうにも 相当に不格好なものにならざるを得ない。でも 展示されていたワークショップ参加者たちがつくった椅子は どれもとても魅力的な形をしていたのだ。角材を組み合わせて 座るという用途を満たす家具をつくろうとする過程で きっと参加者たちは 自分が愛せる形を思い浮かべながら手を動かし 頭を働かせたに違いない。デザインはそういうところから生まれたのではなかったか。
時間がなくて 彼ら2人と話すことができなかったのはとても残念だった。でも まったく根拠はないが いつか彼らに会える日が来るような気がする。
*ヴァハカン・マシアンのユニークなプロジェクト「FRUIT CITY」のウェブサイト http://fruitcity.co.uk/

May 18, 2012

PLACER



ずいぶん前のこと ハワイ島のヒロで 蘭が大樹に着生しているのを見たことがある。すぐに蘭とわかったのではなく もしかしたらあれは蘭じゃないのかと気づき そばに居た案内役に確認をしたのだ。剥き出しの根や茎の部分の 骨だけになった太古の生物みたいな奇怪さと そこに一輪だけ咲いた花の異様な形状が いまも目に焼き付いている。
福岡に蘭を専門に扱う店があるとは聞いていたのだが 実際にそこに行ってみると 想像をはるかに超える場所だった。役者の楽屋や開店したてのクラブ(クにアクセント)にありそうな胡蝶蘭などはなく ハワイ島で見かけたあの野生の蘭に近い原種ばかりが並んでいる。天井から逆さに吊るされたものや 壁に横にしてディスプレイされている鉢もたくさんある。そして壁には一面の描き文字。圧倒された。いまはまだ 他に言葉を見つけられないでいる。


May 11, 2012

TUTTO BENE



夕食のために友人が挙げてくれた選択肢が3つ。その中から 年齢が若くて開店から1年も経っていないという理由で <オステリア ベーネ> に決めた。日が沈んでから急に冷えてきたのに 買い物公園のはずれのビルの3階にある店に入ると窓が開いている。鱒をスモークしていたのだと言う。テーブルに運ばれた黒板にはびっちりとメニューが書き連ねてあった。鱒のスモークはサラダ仕立てで出てくるようだ。鱒だけが食べたかったので それが可能かを尋ねると シェフは快く応じてくれる。良い店に来たと思った。

スパークリングワインをグラスで飲んでから ヴェネツィアの白ワインをボトルでもらう。前菜はアスパラガスのグリル。リゾットとパスタはどちらも食べたかった。魚料理が評判と友人は言っていたが 肉を食べたい気分だったので豚ロースのソテーにするつもりでいる。リゾットはズワイガニとフレッシュトマトに即決したのに パスタは選びきれず シェフにお任せすることにした。彼は厨房からチーズを持ってきた。江丹別の生産者がつくるブルーチーズを使ってゴルゴンゾーラと鴨ローストのフェットチーネにしますと言う。ぼくはブルーチーズが苦手なのだが 彼が考えた流れだから仕方がない。友人との取り分けだったし ちょっと味見をするだけにしよう。ところが できあがったものをひと口ほおばると とてもまろやかで美味いのだ。きっちりと半分にわけた。白ワインがまだ半分近く残っていたけれど グラスの赤をもらう。豚のソテーはポルチーニソースがかかっていた。これも赤で。残った白のために もうひと皿をお任せでとお願いすると タコとクロソイのカルパッチョが出てきた。さすがに満腹になった。でも デザートも食べたしエスプレッソも飲んだ。

増毛の鱒に 富良野のアスパラガスに 江丹別のブルーチーズに 上川の豚肉に 噴火湾のタコに 根室のクロソイに…。ぼくは その土地ならではの食材を自分の知っている料理にしてくれる店が好きだ。この店の料理は まず素材があって そこから毎日のメニューを軽妙に組み立てている。素材の扱いはとても上手だと思うし イタリアンこうあるべしという考えにこだわる様子もない。そこに自由さが感じられて とても良い気分だった。