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January 21, 2014

A LONG VACATION


 先々週のこと 次の約束まで少し時間があったので 浅草の国際通りに面したカフェの2階にあるバーに寄った。ステイプルチェイス盤のチェット・ベイカーが低い音量で流れている。他に客の居ないカウンターの真ん中でジントニックをゆっくり飲むうちに いま出て地下鉄に乗ればちょうど良いという時間になった。勘定を済ませて階段を降りる。バーを目指している時には気づかなかったのだが 隣は小さなレコード屋だった。軒下にスピーカーがあって わりと大きなボリュームで歌が聞こえてくる。「カナリア諸島にて」だ。たまたま有線か何かでかかっているのか それともこの店が意志を持ってかけているのかが 何故だか急に気になり出して ガードレールに寄りかかり次の曲を待つ。「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba 物語」だった。だんだん離れ難くなってくる。そのまま「恋するカレン」までを舗道で聴き 待ち合わせの相手に遅れる旨をメールして地下鉄の駅に向かった。歩きながら 「大瀧詠一はもうこの世から居なくなってしまったのだ」という事実を そろそろ受け入れなくてはならないと思い始めた。

 大瀧詠一が亡くなった日 たくさんの弔辞がツイッターに流れてきたけれど その言葉自体に嘘はないとわかってはいても 短時間のうちにあまりにも簡単に哀悼の意を競うように吐露することには 少なからず違和感を覚えていた。だからぼくにとってはどんな感動的な言葉よりも 入口のガラス戸に演歌歌手のサイン入りポスターを貼っているようなレコード屋が『ロング・バケイション』をかけていた夜にその前を通るという偶然のほうが 心のいちばん深いところに届く不在の悲しみだったのだ。

 大瀧詠一はもうこの世から居なくなってしまった。


October 3, 2012

AUTUMN HAS COME


 ぼくはウエスト洋菓子舗のツイッターをフォローしている。昨日、原稿をすべて書き終えてぼうっとツイッターの画面を眺めていたら 突然 自分の名前がタイムラインに出てきた。それは日本橋三越新館にあるウエスト「レトロカフェ」が 秋の限定メニューを始めたという内容で その期間限定のマロンシャンテリーは そもそもぼくの勘違いから出来上がったものだと書いてある。確かにそれは事実だが 140字にまとめるには少しばかり長い話なのだ。誤解が生じないように ここにあらためて書いておきたい。

"マロンシャンテリーが食べたくなって目黒の「ウエスト」に行った。アイスクリームと生クリームと栗の甘露煮を華奢なグラスに盛ったあのデザート。ところが、水とともに差し出されたメニューを見てみると、マロンシャンテリーがどこにもない。そういえばあれは栗の季節だけの限定だったかもしれないと思ったが、一応、注文を聞きにきたウェイトレスに「マロンシャンテリーはこの季節はないのですか?」と尋ねてみた。いかにもウエストの従業員らしい、理知的な顔立ちをしたその若い女性は、思いの外きっぱりと「こちらではそのようなメニューを扱ったことはございません」と答える。そんなはずはない。何度かここで食べているのだから。そう伝えると、さらにきっぱりと「それは当店ではないと思います。他のお店と間違っていらっしゃるのではないでしょうか。千疋屋さんとか、どこかフルーツパーラーなどと」と言うのだ。いずれにしても、いまここにはないということだから、マロンシャンテリーは諦めてモンブランとコーヒーにする。コーヒーを待っているうちに、確かに彼女に言われたとおり、マロンシャンテリーをよく食べたのはウエストではなく、閉店してしまった8丁目の銀座千疋屋本店だったことを思い出した。意地にならなくて良かった。あなたが小学生だった頃から自分はこの店に通っているなどと言わなくて本当に良かった。
 そしてあらためてウエストに感心する。ふつう、若い店員が商品についてここまで自信を持って客に説明することは、いまやそうあることではないだろう。「そんなことはないはずだ」と言った時点で、「少々、お待ちください」と上司なり責任者なりに確認にいくのではないか。なのに、彼女は揺らぐことなく、かつ嫌な感じを相手に与えまいと気遣いながら、「ない」と言い切った。徹底的に扱う商品のことを覚えさせているということだ。素晴らしい従業員教育。ふと、まったく逆の受け止め方もできるかもしれないという気もした。しかし、自分はそもそもウエストを好ましく思っているので、贔屓目かもしれないが、この体験はウエストの素晴らしさを証明するエピソードとして記憶することにする"

 この文章は 2005年6月発売の拙著『今日の買い物』に収めたものだ。もともとは2004年か2005年の秋以外の季節にブログに書いた。ウエストには内容を確認してもらい掲載の許可を取って できあがった本を送っていた。しばらくしてウエストから出版社に問い合わせがあった。あの文章をコピーしてレトロカフェのテーブルに置きたいのだが 問題はないだろうかという内容だったそうだ。日本橋三越のオータムフェアに合わせて ウエストが栗を使ったデザートを用意することになり どういうわけかぼくの文章に書かれていたマロンシャンテリーを実際につくってみようという話になったらしい。「幻のマロンシャンテリー」と名付けられたそのメニューの「幻」の意味を説明するために ぼくの文章を使いたいのだという。千疋屋でよく食べたマロンシャンテリーを ウエストのものだと勘違いして恥をかきかけたという話から 実際にマロンシャンテリーをつくってみようという ユーモアある企画を誰が考えたのかは知らないけれど とても光栄に思った。その年 ぼくはレトロカフェに出かけ「ウエストのマロンシャンテリー」をはじめて食べながら感慨に耽った。

 その後 マロンシャンテリーはレトロカフェの秋恒例のメニューになっていたらしい。そのことをはじめてツイッターで知ったぼくは 矢も盾もたまらず外出し 日本橋三越でマロンシャンテリーを食べてきた。そうしないと男が廃ると思ったのだ(大袈裟だけど)。幸いにも店内には空席があったので 待つことなくすぐに食べることができた。あらためてあのときの粋な計らいと それをいまも続けてくれていることに感激した。


September 26, 2012

CAL. IN SEP.


根津から千駄ケ谷に戻る前に寄り道をした。行く先は田原町で 帰る方向とは反対だから それを寄り道と呼ぶのは強引かもしれないが 出かけるときには考えていなかったことなのでそう書くことにする。

根津で友人と昼食の約束があった。中華料理店を予約してくれたのだそうだ。でも店の前まで来てみると 昼食の予約をするなんて 友人にとっても店の人にとっても初めてなんだろうなと容易に想像がつく 気取りのない町の小さな中華屋だった。ハム炒飯と五目焼きそばとトマトの炒め物を頼んだ。

友人が「旅のみやげです」と言って渡してくれた紙袋を開けると 小さな瓶に詰められたジャムが入っていた。「CAL. IN SEP.」とスタンプを押された白いラベルが貼られている。彼が旅先のファーマーズマーケットで買った3種類のプラムとレモンを 泊まっていたモーテルのキッチンにあった小さな鍋で炊いてつくったものだそうだ。

彼と奥さんの旅の様子はインスタグラムにアップされる写真で見ていた。それは毎朝 家のポストに絵葉書が届くような感覚だった。その中にたしかにジャムを炊く写真もあったかもしれない。そのジャムが自分の手許にくるとは思っていなかったから とても嬉しかった。

このジャムを食べるなら 東京でいちばん好きな角食を用意しなければならない。だから「ペリカン」へ寄ることにしたのだ。友人も一緒に行くというので 根津から不忍池の横を通って御徒町まで歩き そこから地下鉄に乗って田原町で降りる。ちょうど焼き上がったばかりの角食が棚にあって まだ熱過ぎて切れないようなので 1本まるまる買うことにした。

さっき ペリカンの角食を焼いて友人のジャムをつけて食べた。とても美味しく そして教えられることの多いジャムだった。


September 20, 2012

ON SATURDAY



DOMMUNE で何かを見るということを一度しかしたことがないのに 昨晩はそこに出演した。しかも夜の9時から。実際には進行が遅れて スタートは9時半を過ぎていた。いつもなら夕食も済んで風呂にも入り うつらうつらしている時間だ。そんな男がノコノコと場違いなところに出かけたのは それがヤン富田さんに関するトークだったからだ。きっと川勝正幸さんが生きていたら 彼が座るべき席だったのだと思う。

自分に求められていることが ヤンさんとのこれまでの仕事の中で感じたことやちょっとした裏話というものだったろうから それに従って『VISAGE』や『relax』の話をした。でも 本当は「レコード産業は20世紀で終わってしまったんだよ」という発言以降のヤンさんがやっているコンサート(あるいはレクチャー)形式の新曲発表を観たことがない人のために その途方もない面白さを伝えたいと内心で思っていた。

ぼくはときどきヤンさんと都内のホテルで中庭をながめながらお茶を飲むことがある。そのときのヤンさんの話は希望や閃きに輝きに満ち満ちていて 帰り道にひとりになると口笛を吹いたり鼻歌を歌ったりしたくなる。それは自分だけに与えられた特権なのかもしれないが ぼくが観ているここ数回のヤンさんのコンサートは ホテルで一緒に過ごすときのあの時間の流れとぜんぜん違わない。ましてやそこにレジュメや新曲(自分がコントロールできないものと自分がコントロールできるものを融合させた音楽)がついてくるのだ。

今週の土曜日にリキッドルームで行われるコンサートが楽しみで仕方がない。音楽好きだけでなく アートが好きな人も来たほうが良いと思う。


June 28, 2012

THE NIGHT IS YOUNG



昨夜 すごい音楽をたくさん聴いた。
いつもなら寝てしまっている時間に放送されるものだから 記念すべき初回以外 最後まで聴いた記憶がほとんどない『小西康陽 これからの人生』。池袋のはずれにあるスナックで収録したという昨夜の回は はじめて耳にする音楽ばかりだった(原曲を知っていたとしても 驚きが随所にある)。


店主がインドネシアで手に入れたレコードをかける。アナウンサー(彼の語り口調もまた この夜の音楽に最高にマッチしていた)が質問し 店主が答える。店主の抑揚のない喋り方は眠気を誘うタイプのものなのに 不思議なことにまったく眠くならない。時計を見ながら残り時間が少なくなっていくことを悲しく思いながら聴き続けた。
池袋のスナックは 架空の店ではないようだ。そこへ行くことは 調べればできそうだし きっとぼくの友人たちともどこかでこの店に繋がっているだろう。でも ある夜 寝る前にラジオから流れてきた音楽に耳を奪われて 番組の終わりまで寝ずに聴いたという体験以上のものが そこにあるのかどうかはわからない。誰かが親切に「一緒にあそこへ行きましょう」と誘ってくれても たぶんぼくは臆病だから断るかもしれない。
前後不覚に酔っぱらった夜(なんてことがそもそもありえないのだけれど)酔いを醒すために歩き始めて道に迷い 疲れて仕方なくふらりと入った店で 聴いたことのないような聴いたことのあるような音楽が流れている。そして気づく。「あ もしかしてこれは! そうか ここだったのか…」。もしそこを訪れる機会がめぐってくるとしたら そういうのが理想だ。
昨夜は ザ・ピーナツの伊藤エミが亡くなったというニュースが流れた日でもあった。


May 3, 2012

MR. TAMBOURINE MAN



銀座での用事が昼前に終わったところでふと思いつき 『いもや』でトンカツを食べることにした。ただ 調べずに出てきたから 小伝馬町だったか馬喰横山だったかが定かではない。地下鉄の小伝馬町駅から地上に出ると ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。当てずっぽうに歩き始めてすぐに やっぱり馬喰横山だったかと後悔する。脇道に入って早足でしばらく進むと 左側にピッツェリアの看板が見えた。そういえば 前から行きたいと考えていた店も たしかこの辺りだったはず。近づくと やはりそうだった。窓辺に人形が飾ってあった。

ぼくは一度だけナポリに行ったことがある。旅行雑誌の編集部に籍を置いていた90年代のはじめのことだ。その特集の最後のページにこれと同じ人形の写真を使った。ずうっと一緒にイタリアを縦走してくれたサタンさんが 取材中に「この人形はナポリの象徴なんだよ」と教えてくれたことを憶えていたからだ。あれ以来 はじめてこの人形を見た。いや 東京でも目にしていたことがあったかもしれないけれど 少なくとも気づいたのは今日がはじめてだ。

小さなピッツェリア <IL TAMBURELLO> はとても良い店だった。ひとりで昼に食べるピザとして完璧な大きさ。スープとデザートのティラミスが付いて千円。エスプレッソは別料金というのも好ましい。いまでもときどき想い出す イタリア取材中のいちばんのお気に入り食堂だったフィレンツェの <COCO LEZZONE> も デザートまで食べてからエスプレッソを頼んだら うちにはないから向いの店で飲めと言われた。それがイタリア式なのかどうかはよく知らないが そういうことを急に思い起こさせる この店のランチがちょっと嬉しかった。これで肘が触れ合うくらいに客席が詰め詰めになっていて 各々が大声でわめくように喋っていたら もっといろいろ懐かしくなっただろう。

家に戻ってから サタンさんにメールを送るとすぐに答えがきた。ダブダブの白い上着を着て黒い仮面をつけたあの人形の名前は「プルチネッラ」というのだ。イタリアの伝統的な風刺劇 コメディア・デラルテに登場する道化師。ナポリのシンボルとして人々に愛されているのだそう。<IL TAMBURELLO> の窓辺に飾られたプルチネッラは 店名に相応しく片手にタンバリンを持っていた。

今日の昼食に悔いが残るとしたら ナポリらしくマルゲリータにせず ついついロマーナを頼んでしまったことくらいだ。


April 29, 2012

MOLD ALL



灯台下暗し。


昨日から千駄ケ谷 <Playmountain> で始まった
PP BLOWER の「MOLD ALL」展を観た。


進行中のプロジェクトを見学することもできた立場なのに
完成品を目にするまで その素晴らしさにまった気づけず
まさしく「穴があったら入りたい」というのは
こういうことを言うのだろう。


さんざん迷って 写真右端の花器を買った。
ガラスの表面には 型として使った木の肌が写しとられていて
繊細な表現が似合うガラスという素材に
おおらかな荒々しさが加わり さらに魅力を増している。


早い時間で仕事を切り上げて酒を飲んでばかりいると
ときどき自分の不明を晒して こういう恥をかいてしまうのだ。


展示は5月7日まで。



February 15, 2012

WARM ENOUGH



前に年下の友人たちが連れていってくれた店。
池袋にはほとんど用事がないので 知らなくて当然と思ったものの
彼女らが こんなに自分好みの店に通っていることが 少し悔しかった。

わざわざ出かけるのではなく あくまでも何かのついでに。
余所の街の余所の店へ行くのなら できるだけそうしたい。
午後3時からの打ち合わせを「池袋で」と こちらから指定する。
ぜんぜん「ついで」ではないのだ。

4時半に店の前に立つと すでに暖簾がかけられていて
しかも先客がひとりカウンターの中央に座っているのが見える。
例の 豆腐がぷかぷか浮かんでいる大きな銅鍋の前だ。
やはり みんなあそこに座りたがるのか。
先客と椅子ひとつ間に置いた 隣の隣に席を取った。

牛肉豆腐と焼きとん2本を 熱燗で楽しんでいると
ずっと先客と話をしていた女将が ふいにぼくの皿を取り上げて
半分ほどに減った牛肉豆腐につゆと刻み葱を足してくれた。
「つゆごと食べてらしたから お好きなのかなと思って」。

店を出る。まだ30分しか経っていない。
もっともっと長く居たような気分だった。
いい店だなあ。


February 13, 2012

SEE YA!



遠くの街で悲しい知らせを聞いた。
悲しみは その日から ずうっとふわふわ宙に浮いている。

たくさんの人が悲しんでいる様子を見たら
ぼくの悲しみも ぼくの心の中の落ち着き先を
見つけることができるだろうと思って 青山に行った。

一年ぶりに会う人 五年ぶりに会う人 十年ぶりに会う人。

まさかこんな場所で会うことになろうとはね
またあらためて今度ゆっくりお話ししましょう。

そんな言葉を何人とも交わした。

そして 川勝さんとも いつもそんなふうに
挨拶だけして別れることばかりだったのを思い出す。

1月の『人生はビギナーズ』のトークショー。

終了した後に 控え室で
川勝さんと あらためて一緒に飲もうと約束した。
トイレに寄ってから エレベーターで下に降りて
交差点に向かって歩き始めると 川勝さんの後姿が見えた。
もう挨拶も済ませてしまっているし 何だかバツが悪くて
追いつくことをせずに スピードを緩めた。

ただ空中に消えていくだけの「また会いましょう」は
本当に悲しい言葉だ。


October 5, 2011

July 14, 2011

DEMEL



好きなものを30個ほど挙げてほしい。

今朝 その依頼について考えていて
マーガレットの花の絵が蓋に描いてある
円いソリッドチョコレートのことを思い出し
そういえば あれの名前は何だったろうと
パソコンで検索をしはじめた。
そして 原宿クエストの <デメル> が
八月いっぱいで閉店することを知ったのだ。

10年は経っていないはずだが
雑誌のヴァレンタインデー特集をながめているときに
フランスの ジャンだとかアンリだとかピエールだとか
そんな類いの名前のチョコレートばかりが並んでいて
そこにデメルが含まれていないことで不安になり
原宿クエストまで様子を見にいったことがある。

もちろんデメルはそこにあった。
そのときにも マーガレットのチョコレートを買った。
そして「この風格と奥深さがある限り
自分は引き続きデメル派で行こう」と何かに書いた。

今日 閉店のことを知り 昼食の後でクエストに寄った。
もちろん まだデメルはそこにあった。
外の灼熱地獄などまったく想像できないほど
店内は冷んやりとして 静かで薄暗い。
自分の足許がレインボーサンダルであることを恥じた。
風格とはこういうことを言うのだと思う。

ショーケースを覗くと 目当てのチョコレートがない。
詰め合わせならあるが あの円い箱のものは
もうつくっていないと 店員が言った。
ぼくはデメルについて 一日のうちに
ふたつの悲しい事実を知ったのだ。

原宿クエストの店が閉店するだけで
百貨店の中にある店舗などは引き続き営業する。
でも ぼくには デメルの風格や奥深さを
デパ地下で 同じように感じ続ける自信がない。



June 29, 2011

THE ARM



"用の美" の反対語は 何だろうか。

道具が 何世代も使われ続ける中で獲得していった
無駄や狙いのない 目的を果たすためだけのかたち。

ぼくは "焼き物" という言い方が好きではないが
陶器という単語には すでに "器" という
道具の名前が入っているから
あえてそう呼べば 日本人が "焼き物" に求めるのは
結局は 使い道なのかもしれないと ときどき考える。

前に イアン・マクドナルドの自宅を訪ねたとき
デスクの上に 掌くらいのサイズの
陶製のオブジェが置かれているのに気づいて
こういうものが家にあったらいいなと思った。
だから 東京ではじめて開かれるショーのために
イアンが オブジェをたくさんつくってきたことが
とても嬉しかった。

いま 手に入れたオブジェをどこに置くかを
ぼくは にやけながら考えている。
たぶん 仕事机のパソコンの向こう側にするはずだ。
そして こうやって文字を打つことに飽きたとき
視線を画面からはずした先にある
土の塊を焼いた 美しいオブジェを見つめるのだ。

用途のない美しさは 何と呼べばいいのだろう。