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October 4, 2011

SCULPTOR



彫刻家 リッキー・スワローのアトリエに行った。

実は彼の彫刻を直に観るのははじめてだった。

彼の話や 写真などから想像していたものの何倍も

深淵で強くて素晴らしかった。


そして 反省した。


おそらく日本では リッキー・スワローは

彫刻家(ときには水彩画も描く)としてよりも

センスの良いブロガーとしてだったり

「ALTADENA WORKS」という

バッグブランドの共同プロデューサーとして

名前を知られる人物となっていて

その責任の一端は 自分にも大いにある。


いつかリッキーの作品そのものや

彼が制作のプロセスで考えていることなどを

紹介する機会をつくらなくては

本当に申し訳ないと 心から思った。



May 18, 2011

ALL COME TO LOOK FOR AMERICA



以下は 今年の2月
福岡のフリーマガジン『YODEL』に書いた原稿です。



アメリカの息子たち


 ぼくの好きなアメリカのことを書く。わざわざ最初に断るのは、この文章にはアメリカの歴史的背景や人種問題や政治力学や経済構造などに関する精緻な分析と深淵な考察は一切なく、日米の軍事戦略的関係のことを言い出せばむしろ嫌いというアンビバレントな感情をも棚の上に放り投げて、ただただシンプルに、どうして好きなのかを個人的に考えたいからだ。

 金沢の21世紀美術館で「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」を観た。素晴らしい展示群の中でもっとも心打たれたのは「Together」という共同連作だ。発案者はマイク・ミルズ、ロサンゼルス近郊の山中に棲み人知れず住宅地のすぐそばを移動するマウンテンライオンの足跡を追うという内容。撮影場所は発信器をつけられたマウンテンライオンのGPS記録などをもとに決められている。その美しい風景写真の前に立ったとき、ぼくの好きなアメリカとは何なのかがちらりと見えたような気がした。

 例えば、アメリカ大陸を飛行機で横断をするときに窓から見下ろすどこか別の惑星のような地上。あるいは、カリフォルニアからアリゾナを経由してニューメキシコまでインターステートで向かう途中に延々と続く「Middle of Nowhere」と呼ばれる殺風景な荒野。あまりにもスケールの大きなランドスケープを前にすると、人は自分が自分でなくなるという不安を感じるものらしい。それを打ち消すためにアメリカ人は科学技術と合理主義で、眼前のウィルダネスに戦いを挑むのだ。自然と共生するという道を選ぶのは「ZENにかぶれた若造」がやることでしかない。サンフランシスコの坂道を思い浮かべてみよう。小高く傾斜のきつい丘の四方から真っすぐに上る道が頂上で交差している。日本なら、あるいは欧州なら、そんな無理矢理な道路はできるだけつくらず、丘を巻くように峠道にすることのほうが普通だろうに。街区を碁盤の目にしたいという理想が、強引に道理をひっこませる。自然の中に唐突に座りの悪い人工物がある風景の物悲しさこそが、ぼくの好きなアメリカだということを、ホンマタカシの写真が示唆していた。

 前に友人と酒を飲んでいて「才能あるイギリス人男性はだいたいマザコンで、才能あるアメリカ人男性はだいたいファザコンじゃないか?」という話で盛り上がった。根拠は何もない。そのときに名前が挙ったのはジョン・レノンとブライアン・ウィルソンだったが、実際にそうなのか怪しいものだ。でも、良心的アメリカ人ファミリーの中で、清廉潔白な頼れる父親で居続けることのプレッシャーというのは、なんとなく想像ができる。「男たるもの家の一軒も建てられなくてどうする」と言われたとき、日本ならそういう甲斐性を持てという話だけれど、アメリカ人にとっては、リアルに自然をねじ伏せて家を建てる腕力と技術を持てという意味なのではないだろうか。そして父親は意識するしないは別にして、息子にもそうあるべきと無言のうちに強要する。どんなに都会的に育っていたとしても、だいたいのアメリカ人男性が、ウィルダネスを前にして途方にくれたような悲しみを抱えているのはそのせいだ。アメリカが生んだ傑作映画のほとんどが父と息子の物語だったというのは暴論だとしても、その悲しみをサウダージと呼ぶと、何か本質が理解できたように錯覚する。

 ウィルソン家の長男が生み出した傑作『ペット・サウンズ』は “アメリカン・サウダージ” の見本だと思う。すべての曲が終わった後にどうして警笛を鳴らしながら過ぎ去っていく列車のSEが続くのか、どこかに答えが書いてあったのかもしれないが、不勉強なぼくはその訳を知らない。ニューメキシコ州のギャラップというルート66沿いの町に泊まったとき、モーテルの裏が線路で、朝早くに荷物を背負ってクルマまで歩いていくと、ちょうど列車が通り過ぎるところだった。先頭に機関車が2両、最後尾も機関車で、その間には100両以上の貨車が連結されていた。激しく警笛を鳴らしながら走り過ぎていく。行く手を遮るものなどないはずなのに警笛がやむことはない。まるで目の前に広がる荒野を威嚇しているみたいだった。その響きは本当に物悲しく空虚で、そして切なくて、そう思った瞬間に、ぼくの頭の中で「キャロライン・ノー」が鳴った。


May 16, 2011

RULES



【イマキュレート ハート カレッジ 美術学部のルール】

ルール1 信頼できる部分を見つけ、しばらくそれを信頼すること。

ルール2 学生の義務 先生と仲間から可能なかぎり
すべてを引き出すこと。

ルール3 先生の義務 学生から可能なかぎりすべてを引き出すこと。

ルール4 すべてを実験と思うこと。

ルール5 自己鍛錬できる人であること。これは聡明な人や賢い人を選んでそれに倣うことを意味します。鍛錬できる人は良いやり方を真似できる人。倣いながらさらに良いやり方を見出す人。

ルール6 間違いは存在しない。勝ちも負けも存在しない。
つくることだけが在る。

ルール7 唯一のルールは 作業すること。取り組み続ければ何かに繋がります。すべての作業をこなす人が最終的に何かに到達できます。

ルール8 創造と分析を同時におこなわない。
二つは別のプロセスです。

ルール9 できるかぎりハッピーでいる。自分であることを楽しむ。
考えている以上に軽いことです。

ルール10 " 私たちはすべてのルールを破る。自分が決めたルールでさえ。どうやって? 未知数Xのために十分な余白を残しておくこと " ジョン・ケージの言葉

役に立つヒント 常に動きまわること。行き来すること。授業に出席すること。手当たり次第に本を読むこと。映画を注意深くたくさん観ること。すべてをとっておくこと。あとで役立つかもしれないから。来週、また新しいルールを考えましょう。


April 4, 2011

PLEASE REFRAIN



パサディナのフリーマーケットを冷やかしてから
遅めの朝飯を食べようと
ブレントウッドの「カントリーマート」に
新しく出来たレストラン『FARM SHOP』へ行った。
チキンサラダを頼んだのだが
ジェムレタスやラディッシュの新鮮さ
ドレッシングの味付けの繊細さが
ロサンゼルスとは思えないほど素晴らしいと
同行者に話したら ソノマの有名店に居た人が
始めた店だと教えてくれた。
北カリフォルニアなら さもありなん。
とにかくそのサラダは抜群に美味かった。

"cell phones, tweeting and e-mailing
have been proved harmful
to other diners' appetites.
please refrain."

メニュー表のチキンサラダのすぐ下に
こんな一文が印刷されていることに気づいたときは
すでに後の祭り。
携帯で写真も撮り 急用で通話までしてしまっていた…。


February 16, 2011

WATTS TOWERS


大きさは何を尺度にして感じるのかという話。

ワッツタワーに行かなくてはダメと
ぼくの背中を押してくれたのはクリスティーナだ。
たくさんのインスピレーションを与えてくれる
ロサンゼルスでいちばん大切な場所と いつも話していた。

向こうにワッツタワーが見えてきたとき
想像よりも低い塔だったので
思わず「小さいね」とクリスティーナに言ったら
小さいですって?
というような顔をされた。

解説つきの見学ツアーを申し込み
柵の中に入って タワーを間近に見上げる。
足下には 拾い集めた陶器のかけらや
割れたコーラの瓶などを使った装飾が
びっしりと施されている。
不揃いだけれど 美しいモザイク模様。

重い鉄骨をひとりで運び
かけらのひとつひとつを丹念にセメントで固めていく
イタリア系移民の貧しい左官工
サイモン・ロディアの姿を想像して クラクラした。

やっぱりワッツタワーは とてつもなく大きいよ。

そう言うと クリスティーナは
嬉しそうに微笑んだ。

February 1, 2011

CORITA!


ポラロイドフィルムがないので
ここからは iPhone でやってみることにした。