December 30, 2012

FOLKMILL


数日前に東古川町の『洋食屋ゴーシュ』が今月29日で閉店することを知った。つまり昨晩 最後の営業を終えたのだと思う。

『洋食屋ゴーシュ』には一度しか行ったことがない。先月の中頃だ。長崎の友人に「ワインを飲みながらひとりで食事をできる店があれば」と訊いて教えてもらった。店に入るとまだ他に客はなく 厨房からおそらくはぼくとそれほど年齢が違わないだろう男性が現れた。「ビオワインが飲めると聞いたので」と言うと「ビオワインって 例えばどんなのが好きですか?」と質問された。「ガメイが好きです」と答えたら ちょっと相好を崩したように見えた。「マルセル・ラピエールとか」と畳み掛けてみる。「最近はフランスのものが面白く感じられなくなって イタリアばかりにしているけれど それで良ければ」と言われたので 料理もワインもお任せすることにした。

料理を待つ間 店内に低く流れている音楽を聴いた。ブリティッシュフォークだった。誰の曲かは思い出せない。そのうちに ひとり女性客が入ってきた。店主は彼女にも同じようにどんな食事をしたいかを尋ねた。彼女も 今夜 はじめてここに来たようだ。

料理は何風というのでもなく メキシコとインドと東南アジアとフレンチが混じったような 要するに無国籍でオリジナルな味がする。ワインも美味しい。ちょっと酔ってきたのを良いことに 2皿目の料理を運んできた店主に「ブリティッシュフォークがお好きなんですね」と声をかけてみる。すると逆に あなたはブリティッシュフォークが好きなのかと詰め寄られた。学生の頃に渋谷百軒店にあった『ブラックホーク』あたりで覚えた程度ですと答えた途端に 満面の笑みとともに「聴かせたいレコードがあるから」と 店主は奥に引っ込んだ。そうして3枚のLPを抱えて戻ってきてテーブルの上に置いた。そのうちの1枚は バリー・ドランスフィールドのフォークミル盤だった。

そうやってぼくらの音楽談義が始まり やがて女性客も加わった(偶然にも彼女もまた マニアックな音楽好きだったのだ)。店主が話に夢中になり料理の手が止まったのは残念といえば残念だったけれど こんなに面白い夜もそうそうないだろうから ずっとレコードを聴きながら喋り続けた。

以上が『洋食屋ゴーシュ』にまつわる ぼくの唯一の想い出話だ。次に長崎へ行っても もうあの店は無い。


October 3, 2012

AUTUMN HAS COME


 ぼくはウエスト洋菓子舗のツイッターをフォローしている。昨日、原稿をすべて書き終えてぼうっとツイッターの画面を眺めていたら 突然 自分の名前がタイムラインに出てきた。それは日本橋三越新館にあるウエスト「レトロカフェ」が 秋の限定メニューを始めたという内容で その期間限定のマロンシャンテリーは そもそもぼくの勘違いから出来上がったものだと書いてある。確かにそれは事実だが 140字にまとめるには少しばかり長い話なのだ。誤解が生じないように ここにあらためて書いておきたい。

"マロンシャンテリーが食べたくなって目黒の「ウエスト」に行った。アイスクリームと生クリームと栗の甘露煮を華奢なグラスに盛ったあのデザート。ところが、水とともに差し出されたメニューを見てみると、マロンシャンテリーがどこにもない。そういえばあれは栗の季節だけの限定だったかもしれないと思ったが、一応、注文を聞きにきたウェイトレスに「マロンシャンテリーはこの季節はないのですか?」と尋ねてみた。いかにもウエストの従業員らしい、理知的な顔立ちをしたその若い女性は、思いの外きっぱりと「こちらではそのようなメニューを扱ったことはございません」と答える。そんなはずはない。何度かここで食べているのだから。そう伝えると、さらにきっぱりと「それは当店ではないと思います。他のお店と間違っていらっしゃるのではないでしょうか。千疋屋さんとか、どこかフルーツパーラーなどと」と言うのだ。いずれにしても、いまここにはないということだから、マロンシャンテリーは諦めてモンブランとコーヒーにする。コーヒーを待っているうちに、確かに彼女に言われたとおり、マロンシャンテリーをよく食べたのはウエストではなく、閉店してしまった8丁目の銀座千疋屋本店だったことを思い出した。意地にならなくて良かった。あなたが小学生だった頃から自分はこの店に通っているなどと言わなくて本当に良かった。
 そしてあらためてウエストに感心する。ふつう、若い店員が商品についてここまで自信を持って客に説明することは、いまやそうあることではないだろう。「そんなことはないはずだ」と言った時点で、「少々、お待ちください」と上司なり責任者なりに確認にいくのではないか。なのに、彼女は揺らぐことなく、かつ嫌な感じを相手に与えまいと気遣いながら、「ない」と言い切った。徹底的に扱う商品のことを覚えさせているということだ。素晴らしい従業員教育。ふと、まったく逆の受け止め方もできるかもしれないという気もした。しかし、自分はそもそもウエストを好ましく思っているので、贔屓目かもしれないが、この体験はウエストの素晴らしさを証明するエピソードとして記憶することにする"

 この文章は 2005年6月発売の拙著『今日の買い物』に収めたものだ。もともとは2004年か2005年の秋以外の季節にブログに書いた。ウエストには内容を確認してもらい掲載の許可を取って できあがった本を送っていた。しばらくしてウエストから出版社に問い合わせがあった。あの文章をコピーしてレトロカフェのテーブルに置きたいのだが 問題はないだろうかという内容だったそうだ。日本橋三越のオータムフェアに合わせて ウエストが栗を使ったデザートを用意することになり どういうわけかぼくの文章に書かれていたマロンシャンテリーを実際につくってみようという話になったらしい。「幻のマロンシャンテリー」と名付けられたそのメニューの「幻」の意味を説明するために ぼくの文章を使いたいのだという。千疋屋でよく食べたマロンシャンテリーを ウエストのものだと勘違いして恥をかきかけたという話から 実際にマロンシャンテリーをつくってみようという ユーモアある企画を誰が考えたのかは知らないけれど とても光栄に思った。その年 ぼくはレトロカフェに出かけ「ウエストのマロンシャンテリー」をはじめて食べながら感慨に耽った。

 その後 マロンシャンテリーはレトロカフェの秋恒例のメニューになっていたらしい。そのことをはじめてツイッターで知ったぼくは 矢も盾もたまらず外出し 日本橋三越でマロンシャンテリーを食べてきた。そうしないと男が廃ると思ったのだ(大袈裟だけど)。幸いにも店内には空席があったので 待つことなくすぐに食べることができた。あらためてあのときの粋な計らいと それをいまも続けてくれていることに感激した。


September 26, 2012

CAL. IN SEP.


根津から千駄ケ谷に戻る前に寄り道をした。行く先は田原町で 帰る方向とは反対だから それを寄り道と呼ぶのは強引かもしれないが 出かけるときには考えていなかったことなのでそう書くことにする。

根津で友人と昼食の約束があった。中華料理店を予約してくれたのだそうだ。でも店の前まで来てみると 昼食の予約をするなんて 友人にとっても店の人にとっても初めてなんだろうなと容易に想像がつく 気取りのない町の小さな中華屋だった。ハム炒飯と五目焼きそばとトマトの炒め物を頼んだ。

友人が「旅のみやげです」と言って渡してくれた紙袋を開けると 小さな瓶に詰められたジャムが入っていた。「CAL. IN SEP.」とスタンプを押された白いラベルが貼られている。彼が旅先のファーマーズマーケットで買った3種類のプラムとレモンを 泊まっていたモーテルのキッチンにあった小さな鍋で炊いてつくったものだそうだ。

彼と奥さんの旅の様子はインスタグラムにアップされる写真で見ていた。それは毎朝 家のポストに絵葉書が届くような感覚だった。その中にたしかにジャムを炊く写真もあったかもしれない。そのジャムが自分の手許にくるとは思っていなかったから とても嬉しかった。

このジャムを食べるなら 東京でいちばん好きな角食を用意しなければならない。だから「ペリカン」へ寄ることにしたのだ。友人も一緒に行くというので 根津から不忍池の横を通って御徒町まで歩き そこから地下鉄に乗って田原町で降りる。ちょうど焼き上がったばかりの角食が棚にあって まだ熱過ぎて切れないようなので 1本まるまる買うことにした。

さっき ペリカンの角食を焼いて友人のジャムをつけて食べた。とても美味しく そして教えられることの多いジャムだった。


September 20, 2012

ON SATURDAY



DOMMUNE で何かを見るということを一度しかしたことがないのに 昨晩はそこに出演した。しかも夜の9時から。実際には進行が遅れて スタートは9時半を過ぎていた。いつもなら夕食も済んで風呂にも入り うつらうつらしている時間だ。そんな男がノコノコと場違いなところに出かけたのは それがヤン富田さんに関するトークだったからだ。きっと川勝正幸さんが生きていたら 彼が座るべき席だったのだと思う。

自分に求められていることが ヤンさんとのこれまでの仕事の中で感じたことやちょっとした裏話というものだったろうから それに従って『VISAGE』や『relax』の話をした。でも 本当は「レコード産業は20世紀で終わってしまったんだよ」という発言以降のヤンさんがやっているコンサート(あるいはレクチャー)形式の新曲発表を観たことがない人のために その途方もない面白さを伝えたいと内心で思っていた。

ぼくはときどきヤンさんと都内のホテルで中庭をながめながらお茶を飲むことがある。そのときのヤンさんの話は希望や閃きに輝きに満ち満ちていて 帰り道にひとりになると口笛を吹いたり鼻歌を歌ったりしたくなる。それは自分だけに与えられた特権なのかもしれないが ぼくが観ているここ数回のヤンさんのコンサートは ホテルで一緒に過ごすときのあの時間の流れとぜんぜん違わない。ましてやそこにレジュメや新曲(自分がコントロールできないものと自分がコントロールできるものを融合させた音楽)がついてくるのだ。

今週の土曜日にリキッドルームで行われるコンサートが楽しみで仕方がない。音楽好きだけでなく アートが好きな人も来たほうが良いと思う。


September 2, 2012

BUTSU-BUTSU



もしあなたが すでにホンマタカシと岡尾美代子による写真集『物物』を手に入れていたとしても それは丸亀の猪熊弦一郎現代美術館へ行かない理由にはならない。『物物』はあくまで “関連書籍” であって 「物物」展のカタログではないからだ。

書籍の『物物』を先に見ていたぼくは 岡尾美代子の役割を過小評価していたことを 実際の展示を観てようやく思い知った。彼女は圧倒的に素晴らしい。

復刊が待たれる『画家のおもちゃ箱』は コレクションの持ち主である猪熊弦一郎自身が被写体をセレクトし それにまつわる思い出を文章にして寄せた大判の写真集だ。猪熊自身の作品と同等に 作家の美的感覚を伝える本である。猪熊が蒐集したアンティークや拾得物は 岡尾美代子にとってもたぶん宝の山だったに違いない。普通なら猪熊弦一郎の眼から何らかの影響を受けたり そこから発生する敬意が制約に繋がったりするだろうに 彼女には揺らがない強固な意志と趣味がある。岡尾美代子が自由に選んで組み合わせた今回の展示は  はじめて猪熊弦一郎のコレクションを間近に眺めることができるという喜びを遥かに超えた 迫力のある展示だった。書籍の『物物』ではホンマタカシの写真が主役だったとぼくは思うが 「物物」展では 岡尾美代子の眼が主役を(そして物の持ち主だった猪熊弦一郎をも)食ってしまっている。

25年以上も付き合いのある岡尾美代子の仕事の いったい何を ぼくはいままで理解したつもりになっていたのだろうか。脱帽としか言いようがない。


* 写真は美術館の許可を得て撮影しました。


August 31, 2012

NEW DOCUMENTARY



もしあなたが すでに金沢21世紀美術館や東京オペラシティアートギャラリーで「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」展を観ていたとしても それは丸亀の猪熊弦一郎現代美術館へ行かない理由にはならない。同じ写真でも 会場が変われば見え方も違うし ホンマタカシ自身の考える展示構成も変わるからだ。

とはいえ かく言うぼくにとっても ひとりの作家の巡回展をすべての会場で観るという経験はこれまでなかったし もしかしたらこれからもないかもしれない。

金沢と東京の展示の違いが このふたつと丸亀の展示の違いに比べたらぜんぜん小さかったと思うほど 今回は劇的に変わった部分があった。それによって新しい発見があり 本質的な理解に少し近づけたような気もする(勘違いだとしても)。例えばぼくは どうしても好きになれなかった作品を「案外 良いかもしれない」と思い始めたし いちばん好きだった作品をこれまでよりもさらに近距離でじっくり観ることができた。そして「その森の子供」の展示方法が 驚きがあってとても良かった。

そうそう。受付から階段で上がっていくか エレベーターで3階に行ってから階段を使って下りてくるかでも きっと印象はまったく違うだろう。ぼくは何も考えずに階段を使ったが いま思うと 上から下へ進むのが正しい順路だったような気がしないでもない。いずれにしても どちらを選ぶかはあなた次第だ。


* 写真は美術館の許可を得て撮影しました。


June 28, 2012

THE NIGHT IS YOUNG



昨夜 すごい音楽をたくさん聴いた。
いつもなら寝てしまっている時間に放送されるものだから 記念すべき初回以外 最後まで聴いた記憶がほとんどない『小西康陽 これからの人生』。池袋のはずれにあるスナックで収録したという昨夜の回は はじめて耳にする音楽ばかりだった(原曲を知っていたとしても 驚きが随所にある)。


店主がインドネシアで手に入れたレコードをかける。アナウンサー(彼の語り口調もまた この夜の音楽に最高にマッチしていた)が質問し 店主が答える。店主の抑揚のない喋り方は眠気を誘うタイプのものなのに 不思議なことにまったく眠くならない。時計を見ながら残り時間が少なくなっていくことを悲しく思いながら聴き続けた。
池袋のスナックは 架空の店ではないようだ。そこへ行くことは 調べればできそうだし きっとぼくの友人たちともどこかでこの店に繋がっているだろう。でも ある夜 寝る前にラジオから流れてきた音楽に耳を奪われて 番組の終わりまで寝ずに聴いたという体験以上のものが そこにあるのかどうかはわからない。誰かが親切に「一緒にあそこへ行きましょう」と誘ってくれても たぶんぼくは臆病だから断るかもしれない。
前後不覚に酔っぱらった夜(なんてことがそもそもありえないのだけれど)酔いを醒すために歩き始めて道に迷い 疲れて仕方なくふらりと入った店で 聴いたことのないような聴いたことのあるような音楽が流れている。そして気づく。「あ もしかしてこれは! そうか ここだったのか…」。もしそこを訪れる機会がめぐってくるとしたら そういうのが理想だ。
昨夜は ザ・ピーナツの伊藤エミが亡くなったというニュースが流れた日でもあった。


May 25, 2012

FATHER'S FATHER



今日発売の『暮しの手帖』に掲載されているぼくの連載「今日の買い物」第三回の旅先は松山。その際に 伊丹十三記念館で偶然にも伊丹万作展を観ることができた。字数が足らず 詳しく書けなかった「企画展示室入口に掲げられた伊丹十三の言葉」を以下に引用する。ぼくにとっての伯父さん的人物のひとりが語る「父」。1995年9月2日に執り行われた「伊丹万作五十回忌」で 伊丹十三が息子に披露した話だ。
フランスのラカンという人によれば
父親の役割は何かというと
「父の父」の言葉を、子どもに伝える ”中間”
であるということらしいのね。
ボクは、その父の父の言葉をですね
子に伝える役割を持っているわけ。
今日は、諸君のおじいさん、つまり「父の父」
伊丹万作さんの五十回忌です。
それでまあ、簡単にお話しますが…
伊丹万作は
自分に誠実な人であった。
自分に非常に厳しい人であった。
自分に嘘のつけない人であった。
彼が生きていた時代というのは
生きることが非常に辛い時代だったわけです。
その頃はちょうど日本が戦争に突入していく
全体主義的な傾向で、軍国主義の国家を
作ろうとしていた時代だった。
本当に自分に誠実な人が、そういう時代に
生きていこうとすると、まず権力というもの
あるいは権力に盲従する日本人というものを
批判しなきゃいけなくなる。
当時の情勢としては非常に難しいことを
やらなきゃいけないという立場に
自分から身を置くことになるんですね。
で、彼の作品を一貫して流れているのは
「全体主義的な国家や社会が、個人の自由
とか権利とか幸せとか尊厳とかってものを
権力でもって踏みにじろうとする時
個人はいかにして、自分に誠実に生きる
ことができるだろうか」
というテーマだと思うんですよ。

May 19, 2012

DESIGNING?



毎年 福岡で開催されている <DESIGNING?> を見てきた。今年が8回目だそうだ。デザインのイベントといえば 正直に言うと ぼくには「あちこち分散した展示会場をスタンプラリーみたいにしてまわったり 著名人のパネルディスカッションみたいなことが中心の ちょっとスカした あれだよね」というような印象しかない。ところが ほんの1日半だったけれど 実際にこの目で見た <DESIGNING> は 格好をつけることに苦心するみたいな本末転倒は見受けられず 暑苦しい熱意をも隠そうとしない 真直ぐな気持ちの良いイベントだった。
中でもすごく感銘を受けたワークショップがあった。とはいえ 実際に参加した訳でもないし ワークショップの様子を見学できた訳でもなく 成果物としての椅子と照明を眺めただけなのだ。それでも とても健全な考え方だなと思えるほどに素晴らしい内容だった。
ロンドンを拠点に活動するヴァハカン・マシアンというアーティスト/デザイナーと ファビアン・カペッロというプロダクトデザイナーの2人が 福岡の市内をまわり家具の材料となり得る廃材を集めてくる。それを使って参加者が家具をつくるというのがワークショップの内容だ。長さも太さも不揃いの角材や板の切れ端がほとんどのようだった。家具をつくるにあたって ヴァハカンとファビアンはルールを2つ設けた。材料を切ってはいけない。1種類の長さのネジしか使ってはいけない(何ミリのネジだったかを忘れてしまった)。となると椅子をつくろうにも 相当に不格好なものにならざるを得ない。でも 展示されていたワークショップ参加者たちがつくった椅子は どれもとても魅力的な形をしていたのだ。角材を組み合わせて 座るという用途を満たす家具をつくろうとする過程で きっと参加者たちは 自分が愛せる形を思い浮かべながら手を動かし 頭を働かせたに違いない。デザインはそういうところから生まれたのではなかったか。
時間がなくて 彼ら2人と話すことができなかったのはとても残念だった。でも まったく根拠はないが いつか彼らに会える日が来るような気がする。
*ヴァハカン・マシアンのユニークなプロジェクト「FRUIT CITY」のウェブサイト http://fruitcity.co.uk/

May 18, 2012

PLACER



ずいぶん前のこと ハワイ島のヒロで 蘭が大樹に着生しているのを見たことがある。すぐに蘭とわかったのではなく もしかしたらあれは蘭じゃないのかと気づき そばに居た案内役に確認をしたのだ。剥き出しの根や茎の部分の 骨だけになった太古の生物みたいな奇怪さと そこに一輪だけ咲いた花の異様な形状が いまも目に焼き付いている。
福岡に蘭を専門に扱う店があるとは聞いていたのだが 実際にそこに行ってみると 想像をはるかに超える場所だった。役者の楽屋や開店したてのクラブ(クにアクセント)にありそうな胡蝶蘭などはなく ハワイ島で見かけたあの野生の蘭に近い原種ばかりが並んでいる。天井から逆さに吊るされたものや 壁に横にしてディスプレイされている鉢もたくさんある。そして壁には一面の描き文字。圧倒された。いまはまだ 他に言葉を見つけられないでいる。


May 11, 2012

TUTTO BENE



夕食のために友人が挙げてくれた選択肢が3つ。その中から 年齢が若くて開店から1年も経っていないという理由で <オステリア ベーネ> に決めた。日が沈んでから急に冷えてきたのに 買い物公園のはずれのビルの3階にある店に入ると窓が開いている。鱒をスモークしていたのだと言う。テーブルに運ばれた黒板にはびっちりとメニューが書き連ねてあった。鱒のスモークはサラダ仕立てで出てくるようだ。鱒だけが食べたかったので それが可能かを尋ねると シェフは快く応じてくれる。良い店に来たと思った。

スパークリングワインをグラスで飲んでから ヴェネツィアの白ワインをボトルでもらう。前菜はアスパラガスのグリル。リゾットとパスタはどちらも食べたかった。魚料理が評判と友人は言っていたが 肉を食べたい気分だったので豚ロースのソテーにするつもりでいる。リゾットはズワイガニとフレッシュトマトに即決したのに パスタは選びきれず シェフにお任せすることにした。彼は厨房からチーズを持ってきた。江丹別の生産者がつくるブルーチーズを使ってゴルゴンゾーラと鴨ローストのフェットチーネにしますと言う。ぼくはブルーチーズが苦手なのだが 彼が考えた流れだから仕方がない。友人との取り分けだったし ちょっと味見をするだけにしよう。ところが できあがったものをひと口ほおばると とてもまろやかで美味いのだ。きっちりと半分にわけた。白ワインがまだ半分近く残っていたけれど グラスの赤をもらう。豚のソテーはポルチーニソースがかかっていた。これも赤で。残った白のために もうひと皿をお任せでとお願いすると タコとクロソイのカルパッチョが出てきた。さすがに満腹になった。でも デザートも食べたしエスプレッソも飲んだ。

増毛の鱒に 富良野のアスパラガスに 江丹別のブルーチーズに 上川の豚肉に 噴火湾のタコに 根室のクロソイに…。ぼくは その土地ならではの食材を自分の知っている料理にしてくれる店が好きだ。この店の料理は まず素材があって そこから毎日のメニューを軽妙に組み立てている。素材の扱いはとても上手だと思うし イタリアンこうあるべしという考えにこだわる様子もない。そこに自由さが感じられて とても良い気分だった。


May 10, 2012

ALONE



居酒屋界の論客たちが書いた本を読んだことがないので すでに誰もが知っていることにひとり興奮している姿が バカのように見えるかもしれないが とても素晴らしい店だったから黙っている訳にはいかない。昨日の晩に友人が案内してくれた <独酌 三四郎> へ もし旭川滞在の初日に連れていかれていたら 翌日から他の店に行く気にはならず ずうっとここに通ったに違いないのだ。

店は細長く天井が高い。梁も壁板も美しく古びている。左側は小上がりで 右がカウンター。中央から女将や手伝いの女性が出入りするためにふたつに分かれたカウンターには合わせて10人は座れるだろうか。ぼくらが座ったのは手前側の奥の端で ちょうど正面を見上げると神棚である。

常温の日本酒を2合。最初は旭川の地酒で高砂酒造のもの。2杯目に「七賢」を飲み 燗を炭火でやっていることに気づいて「麒麟山」の燗1合を追加して 友人と2人でちびちび飲んだ。お通しは酢大豆。まずは塩うにと塩辛。それから炭火の竃で焼いたアスパラと椎茸とホッケ。最後に友人がいつも必ず頼むという焼き鶏。どれも美味い。大将は竃の前に立ち だいたいは客に背を向けている。客と喋るのは女将さんの役割らしい。聞こえてくる先客たちとの会話も その声音も 上品でとても心地よい。
おそらく女将さんが これまでに何万回と訊かれたであろうことを口にしてみた。三四郎は何に因んだ屋号なのですか? そして言ってしまってから「クロサワと夏目漱石とどっちだろう」などと考えながら独りで飲む楽しみを 自分自身で奪ってしまう野暮な質問だったなと反省した。


May 3, 2012

MR. TAMBOURINE MAN



銀座での用事が昼前に終わったところでふと思いつき 『いもや』でトンカツを食べることにした。ただ 調べずに出てきたから 小伝馬町だったか馬喰横山だったかが定かではない。地下鉄の小伝馬町駅から地上に出ると ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきた。当てずっぽうに歩き始めてすぐに やっぱり馬喰横山だったかと後悔する。脇道に入って早足でしばらく進むと 左側にピッツェリアの看板が見えた。そういえば 前から行きたいと考えていた店も たしかこの辺りだったはず。近づくと やはりそうだった。窓辺に人形が飾ってあった。

ぼくは一度だけナポリに行ったことがある。旅行雑誌の編集部に籍を置いていた90年代のはじめのことだ。その特集の最後のページにこれと同じ人形の写真を使った。ずうっと一緒にイタリアを縦走してくれたサタンさんが 取材中に「この人形はナポリの象徴なんだよ」と教えてくれたことを憶えていたからだ。あれ以来 はじめてこの人形を見た。いや 東京でも目にしていたことがあったかもしれないけれど 少なくとも気づいたのは今日がはじめてだ。

小さなピッツェリア <IL TAMBURELLO> はとても良い店だった。ひとりで昼に食べるピザとして完璧な大きさ。スープとデザートのティラミスが付いて千円。エスプレッソは別料金というのも好ましい。いまでもときどき想い出す イタリア取材中のいちばんのお気に入り食堂だったフィレンツェの <COCO LEZZONE> も デザートまで食べてからエスプレッソを頼んだら うちにはないから向いの店で飲めと言われた。それがイタリア式なのかどうかはよく知らないが そういうことを急に思い起こさせる この店のランチがちょっと嬉しかった。これで肘が触れ合うくらいに客席が詰め詰めになっていて 各々が大声でわめくように喋っていたら もっといろいろ懐かしくなっただろう。

家に戻ってから サタンさんにメールを送るとすぐに答えがきた。ダブダブの白い上着を着て黒い仮面をつけたあの人形の名前は「プルチネッラ」というのだ。イタリアの伝統的な風刺劇 コメディア・デラルテに登場する道化師。ナポリのシンボルとして人々に愛されているのだそう。<IL TAMBURELLO> の窓辺に飾られたプルチネッラは 店名に相応しく片手にタンバリンを持っていた。

今日の昼食に悔いが残るとしたら ナポリらしくマルゲリータにせず ついついロマーナを頼んでしまったことくらいだ。


April 29, 2012

MOLD ALL



灯台下暗し。


昨日から千駄ケ谷 <Playmountain> で始まった
PP BLOWER の「MOLD ALL」展を観た。


進行中のプロジェクトを見学することもできた立場なのに
完成品を目にするまで その素晴らしさにまった気づけず
まさしく「穴があったら入りたい」というのは
こういうことを言うのだろう。


さんざん迷って 写真右端の花器を買った。
ガラスの表面には 型として使った木の肌が写しとられていて
繊細な表現が似合うガラスという素材に
おおらかな荒々しさが加わり さらに魅力を増している。


早い時間で仕事を切り上げて酒を飲んでばかりいると
ときどき自分の不明を晒して こういう恥をかいてしまうのだ。


展示は5月7日まで。



March 18, 2012

THANKS!



最後に行った <CAFE FANNY>。
もちろん朝7時に 金熊荘から。


March 3, 2012

PEACH


桃の実は不老長寿や厄よけの果実で 中国では祝い事の象徴とされた。
カステラはかつてスペインに栄えたカスティラ王国のパンとして
ポルトガル人によって伝えられたもの。
そのふたつをあわせて祝い菓子に仕立てたのは 長崎の人たちだ。
カステラの上にフォンダンがたっぷりのった 甘い甘い菓子。

桃の節句が近づくと 普段は桃カステラをつくらない店にも
桃カステラが並ぶというが ぼくはその季節に行ったことがない。
あの『岩永梅壽軒』も2月から桃カステラをつくるらしいのだ。
不用意に「いつか食べてみたい」と口走ったら
長崎の友人から小包みが届いた。なんと親切な。

ちょうど鹿児島から帰ってきた日。そして明後日から松山へ。
まるで図ったように 桃の節句とその翌日だけ東京に居るのである。
桃の節句がこんなに嬉しかったのは 人生初かもしれない。


February 28, 2012

FISH MARKET



鹿児島市役所の裏に『COFFEE INNOVATE』ができたばかりのとき
ぼくはそこを まるでカリフォルニア州のベイエリアとか
オレゴン州のポートランドにありそうな店だというふうに書いた。
すごく天井が高くてゆったりとした広いスペースに
エスプレッソマシンの目立つカウンターが主役のようにあって
テーブルや椅子はあまり置かないという
見た目のスタイルは まだまだ日本には少なくて
むしろ彼の地のコーヒーショップに近いと思ったからだ。

昨日の午前8時くらいに 漁連へ朝御飯を食べに行ったら
購買部の前に『COFFEE INNOVATE』のカートが出ていた。
ニットキャップをかぶったオーナーの濱野くんが
市場で働く人たちの注文を 楽しそうにさばいている。

濱野くんもときどき漁連の食堂を利用していたらしく
その度に 市場で働く人たちが自販機の前に並び
コーヒーを買う姿を見かけていたのだそうだ。
缶入りではなく 淹れたてのおいしいコーヒーを飲んでもらいたい。
そう考えた彼がいろいろ手を尽くし ようやく開業にこぎつけたのが
昨日の朝だったというわけだ。

たぶん市役所裏の『COFFEE INNOVATE』は
その見た目から「オシャレな店」と思う人が多いだろう。
そのオシャレな店が カートを出す場所として選んだのは魚市場だった。

「高いな」とか「並ばなきゃならんのか」とか
みな口々に照れ隠しみたいな文句を言っては 注文をする。
コーヒー1杯が 人々を笑顔にさせている。
生き生きとした場所にある コーヒーカート。
見ているだけで 朝から幸せな気持ちになれた。

『COFFEE INNOVATE』はその外見だけが新しいのではない。
マインドや行動力も 新鮮さに満ち満ちている。


February 21, 2012

CAMERA TALK



どうしてデジタルカメラは フィルムカメラと
同じ形をしていなければならないのだろう?

ポロライドカメラ以降 自分にぴったりとくるカメラが見つからなかった。
正方形フォーマットのフィルムカメラを買ってみて
ポラロイドが いかに(ぼくにとって)優れた機械だったかを思い知った。
うまく撮れているかどうか その場で確認できなければ
素人のぼくには 写真撮影など まったくのお手上げなのである。

ならばデジタルカメラが良いのかといえば これがぜんぜん楽しくない。
ファインダーを覗かずに写真を撮るという感覚が身体に馴染まなかった。
だからといって 外付けのファインダーを使うのも面倒だった。
デジタルカメラがフィルムカメラと同じ形をしているから
すべてのことがしっくりこないと気づいたのは わりと最近のことだ。

新しい映像記録装置として まったく別の形や操作性を与えられていれば
フィルムカメラとの比較をする必要なんて 感じないのではないか。

ぼくはいま『暮しの手帖』の連載を すべて iPhone 4S で記録している。
1ページの大きさに拡大して印刷しても 何ら問題がないのには驚いた。
でも iPhone 4S は(ぼくにとって)カメラではない。
いま起きたことや いま見たものを 画像として記録してくれるが
それをカメラと呼ぶのはおこがましいし 勘違いのもとになるだろう。
だから 連載のクレジットに「写真」と書かれてあることに
ちょっと居心地の悪さを感じている。

ぼくは写真家ではないし 上手にカメラを扱うこともできないから
カメラではなく iPhone 4S を選ぶのが賢明と考えただけである。
自由にフットワーク軽く ひとりで動き回りたかったのである。

この新しい記録装置には その新しさに相応しい形があるのに
まだ新しい名前を与えられていない。
誰かが早急に考えるべきだと思う。これはカメラではない。


February 15, 2012

WARM ENOUGH



前に年下の友人たちが連れていってくれた店。
池袋にはほとんど用事がないので 知らなくて当然と思ったものの
彼女らが こんなに自分好みの店に通っていることが 少し悔しかった。

わざわざ出かけるのではなく あくまでも何かのついでに。
余所の街の余所の店へ行くのなら できるだけそうしたい。
午後3時からの打ち合わせを「池袋で」と こちらから指定する。
ぜんぜん「ついで」ではないのだ。

4時半に店の前に立つと すでに暖簾がかけられていて
しかも先客がひとりカウンターの中央に座っているのが見える。
例の 豆腐がぷかぷか浮かんでいる大きな銅鍋の前だ。
やはり みんなあそこに座りたがるのか。
先客と椅子ひとつ間に置いた 隣の隣に席を取った。

牛肉豆腐と焼きとん2本を 熱燗で楽しんでいると
ずっと先客と話をしていた女将が ふいにぼくの皿を取り上げて
半分ほどに減った牛肉豆腐につゆと刻み葱を足してくれた。
「つゆごと食べてらしたから お好きなのかなと思って」。

店を出る。まだ30分しか経っていない。
もっともっと長く居たような気分だった。
いい店だなあ。


February 14, 2012

THE BEAR



昨日の夜は パリジャンたちからも
"THE LAST FRENCH MAN" と呼ばれている
自他ともに認めるフランスかぶれの友人と飲んだ。
最近のパリ事情が酒の肴だった。

自然派のワインばかり飲むようになってから
一度もパリに行けていない。
たまには行ってみようかなと思った。

だが お薦めのホテルについて聞いているうちに
その値段と気安さの点で
いつの間にかモーテルが自分の基準になっていることに
気づかされた。

パリは遠い。

ぼくは いつものモーテルをチェックアウトしてから
空を見上げるのが大好きなのだ。


February 13, 2012

SEE YA!



遠くの街で悲しい知らせを聞いた。
悲しみは その日から ずうっとふわふわ宙に浮いている。

たくさんの人が悲しんでいる様子を見たら
ぼくの悲しみも ぼくの心の中の落ち着き先を
見つけることができるだろうと思って 青山に行った。

一年ぶりに会う人 五年ぶりに会う人 十年ぶりに会う人。

まさかこんな場所で会うことになろうとはね
またあらためて今度ゆっくりお話ししましょう。

そんな言葉を何人とも交わした。

そして 川勝さんとも いつもそんなふうに
挨拶だけして別れることばかりだったのを思い出す。

1月の『人生はビギナーズ』のトークショー。

終了した後に 控え室で
川勝さんと あらためて一緒に飲もうと約束した。
トイレに寄ってから エレベーターで下に降りて
交差点に向かって歩き始めると 川勝さんの後姿が見えた。
もう挨拶も済ませてしまっているし 何だかバツが悪くて
追いつくことをせずに スピードを緩めた。

ただ空中に消えていくだけの「また会いましょう」は
本当に悲しい言葉だ。