September 30, 2011

September 29, 2011

September 28, 2011

September 25, 2011

COFFEE INNOVATE



鹿児島市役所の裏のあたりに工事中のビルがあった。古いビルの1階に新しい店をつくっているらしい。通りに面して大きな窓があり そこから中を覗いてみると どうやらコーヒースタンドができるようである。天井が高く広くてがらんとしたスペースのいちばん奥の壁の前に カウンターらしきものがあった。

カウンターの右端の奥に置かれているのは カバーで覆われているけれど 間違いなくエスプレッソマシンだ。オレゴン州のポートランドや カリフォルニア州のベイエリアあたりにありそうな 所謂「第三の波」と呼ばれているスタイルでやっていこうとしているのだろう。

ガラス窓には貼紙がしてある。そこにはコーヒーカップを擬人化したキャラクターとともに「COFFEE INNOVATE」と書いてあった。

内装を担当していたのは たまたま知り合いだった。ちょうど彼が中に居るのをいいことに 工事中の店内に入らせてもらう。バリスタの修行を6年ほどしたという若い店主と 少し言葉を交わす。来月中旬オープンの予定だそうだ。そして彼から 朝8時に店を開けるつもりですと聞いて嬉しくなった。場所柄 通勤前にコーヒーを買っていく人で混み合うようになったら 素晴らしいと思う。

気持ちの良い空間と 美味いコーヒーを出す準備が整いつつある。『COFFEE INNOVATE』が この辺りに欠かせない 生き生きと機能する場所になるために あとは良い客がせっせと通って リラックスした雰囲気を醸し出せばいい。そこは客にかかっている。美味いコーヒーを飲むための行列に苛立つこともなく 誰とでも挨拶をして 自分の言葉で周囲と会話しながら待つ。良い客はさらに良い客を呼ぶはずだ。コーヒースタンドというのは そういう場所であるべきである。


September 16, 2011

TOPKNOT


お正月には凧あげて という童謡の歌詞
北海道で生まれ育ったので ぜんぜん同感できなかった。

では 子どもの頃 ぼくはいつ 凧をあげていたのだろうか。
桜が満開になる五月だったかもしれないし 秋だったかもしれない。
季節は忘れてしまったけれど それが奴凧で
新聞紙を細長く切って 奴さんの足の先につなげた記憶がある。

コーナーショップのPVの冒頭に出てくる風景を
グジャラート州アーメダバードの旧市街近くで見たことがある。
白い糸を長く壁沿いに張って 男がその前を往復している。
糸がだんだんピンク色に染まっていくのを ぼんやり眺めていたら
ガイドが あれは凧糸を加工しているのだと教えてくれた。

この間 福岡でふらりと寄った工藝店で
壁に飾られていた新羅凧を買った。
四月に訪れたイームズハウスの本棚にあった虻凧は
紙が破けてしまい 骨組だけが残っていた。

こんなに凧に惹かれるのが どうしてなのか まだわからない。

September 11, 2011

EVERYBODY KNOWS THIS IS NOWHERE



ある人物が 毎日のように眺めたかもしれない夕景。

トパンガキャニオンにいまも残っている
ニール・ヤングが かつて住んでいた家に遊びにいった。
いまのオーナーが何代目なのかは知らない。
おそらく3代目か4代目だろう。
そのオーナーが 地下室を改造して 人を住まわせている。
いま そこを借りているのは 若い音楽家カップルで
彼らが招待してくれたのだ。

急斜面に建てられた家だから
坂道を上がっていくと まずガレージが見え
その前を通り過ぎてさらに上に行くと玄関になる。
そこはオーナーの住居で 目指す部屋は
ガレージ脇のドアを開け 階段を上がったところにある。
この部屋が地下室。地下室といっても窓はあった。

部屋はふたつ。手前がリビングルームで
奥はダイニングキッチン。その境の壁にガラス窓がある。
キッチン奥のアルコーブとともに
そこがレコーディングスタジオだった頃の数少ない名残だ。
『AFTER THE GOLD RUSH』の大半の曲は
1970年にこの場所で録音されたのだという。

キッチンの横の小さなドアから外に出て
石段を上がると裏庭だった。
谷に張り出すようにつくられたウッドデッキで
ビールをごちそうになった。
向かいの山に西日が当たり オレンジ色に光っている。

彼らもミュージシャンだから キッチンには楽器もあったし
簡単な録音ができるようにもしてあるらしかった。
でも かつてそこがどんなふうだったか 知る由もないけれど
いま現在の様子とかなり違っていることだけは確かだ。
親切に「遠慮せずに写真を撮ってもいいよ」と
声をかけてくれたが
室内でシャッターを切る気は起きなかった。

結局 ぼくは ウッドデッキから夕暮れの風景を撮った。
それだけが 昔もいまも変わらないものだと思ったから。


August 4, 2011

POP UP STORE



ぼくがビオワインを好むのは 味はもちろんだけれど
造り手の態度や考え方に惹かれる部分も大きい。
ワインの等級を決める基準そのものの古臭さに組することなく
ピラミッドの外で 軽やかに自分自身の味を追求する姿が
ある種の健全なる反骨精神を感じさせるのである。
事大主義なんて糞食らえ。

ビオワインの楽しさを教えてくれる店はたくさんある。
でも「アヒルストア」の存在は ぼくの中では別格だ。
ワインにまつわるイヤな感じを 蘊蓄や威張りを
きれいに消し去ってくれる健全な場所。
知識があってもなくても いずれにしても ここでなら楽しめる。
特別扱いは一切なく 旨いビオワインの下ではすべてが平等。
健全な肉体に健全な精神が宿るが如き店なのだ。

鹿児島に明日から2晩だけ「アヒルストア」が出現する。
誰かが大いに刺激され 鼓舞され 何かを掴みとって
似たような店が鹿児島に生まれるとしたら 最高に素敵だと思う。


July 23, 2011

NOT A LITTLE GIRL ANYMORE


リンダ・ルイスの名前をはじめて知ったのは
中村とうようの文章を読んだときだった。
それがこのアルバムについての話だったかどうかは忘れている。

ぼくは中村とうように会ったことはない。
コンサート会場などで見かけたことも たぶん ない。
だから 尊敬はしていても ここでは敬称をつけない。
それは "夏目漱石さん" と書かないのと同じ理由だ。

中村とうようはぼくの音楽とのつき合い方に
多大な影響を与えた偉人であると書こうと思い
いろいろ考えているうちに気づいたことがある。

あなたが雑誌を編集する上で影響を受けた雑誌は何か?
ときどき受ける その類いの質問に対して
植草甚一責任編集と謳っていた時代の『宝島』や
二色刷りだった頃までの『ハッピーエンド通信』などを
挙げるのが常だった。
でも 本当は 真っ先に『ニューミュージック・マガジン』と
ぼくは答えるべきだったのではないだろうか。

高校への通学路にあった「三木薬局 書店部」という店で
ウッドストックフェスティバルの特集号を手にして以来
どんなに金がないときでも この雑誌だけは欠かさず買い続けた。

音楽を入口にして その背景にまで
読者の興味を導くことのできる広い視野と深い知識。
自説は曲げないけれど 意に沿わない相手を排除しないフェアネス。
憎まれ役をかってでも 周囲を鼓舞し続けるリーダーシップ。
雑誌の編集長を務めるにあたって必要なことのすべてを
ぼくは 知らないうちに 中村とうようから学んでいたのだと思う。
(もちろん 決して ぼくにもそれが出来たという意味ではない)

July 14, 2011

DEMEL



好きなものを30個ほど挙げてほしい。

今朝 その依頼について考えていて
マーガレットの花の絵が蓋に描いてある
円いソリッドチョコレートのことを思い出し
そういえば あれの名前は何だったろうと
パソコンで検索をしはじめた。
そして 原宿クエストの <デメル> が
八月いっぱいで閉店することを知ったのだ。

10年は経っていないはずだが
雑誌のヴァレンタインデー特集をながめているときに
フランスの ジャンだとかアンリだとかピエールだとか
そんな類いの名前のチョコレートばかりが並んでいて
そこにデメルが含まれていないことで不安になり
原宿クエストまで様子を見にいったことがある。

もちろんデメルはそこにあった。
そのときにも マーガレットのチョコレートを買った。
そして「この風格と奥深さがある限り
自分は引き続きデメル派で行こう」と何かに書いた。

今日 閉店のことを知り 昼食の後でクエストに寄った。
もちろん まだデメルはそこにあった。
外の灼熱地獄などまったく想像できないほど
店内は冷んやりとして 静かで薄暗い。
自分の足許がレインボーサンダルであることを恥じた。
風格とはこういうことを言うのだと思う。

ショーケースを覗くと 目当てのチョコレートがない。
詰め合わせならあるが あの円い箱のものは
もうつくっていないと 店員が言った。
ぼくはデメルについて 一日のうちに
ふたつの悲しい事実を知ったのだ。

原宿クエストの店が閉店するだけで
百貨店の中にある店舗などは引き続き営業する。
でも ぼくには デメルの風格や奥深さを
デパ地下で 同じように感じ続ける自信がない。