May 1, 2011

KOKESHI



久しぶりに神奈川県立近代美術館へ。

近美と言ったら ぼくにとっては鎌倉館のこと。
1951年に坂倉凖三が設計した建物だ。
残念ながら もっとも自然光が美しい第三展示室に
耐震性の問題が見つかって 現在はそこだけ閉鎖されている。

このまま建替えになってしまうのかもしれないと思った。
そもそも敷地は鶴岡八幡宮のもので
借地権が間もなく切れるという話もあったはず。
二階展示室の横で 展示会カタログの在庫が
安値で販売されていて
まるで一掃セールのように見えたから
急にその記憶がよみがえったのだ。
館内のカフェでコーヒーを飲み 池をながめながら
このテラス席に あと何度くらい座れるのかと切なくなる。

階段を下りて パティオにあるイサムノグチの彫刻を
写真に撮り 建物沿いに裏へまわり八幡宮の参道へ戻った。
こんなに人があふれているのに どうして美術館には
団体見学の中学生しかいなかったのだろう。


April 29, 2011

ABSTRACT



東京国立近代美術館で「生誕100年 岡本太郎展」が
華々しく開催されている同じ時期に
横須賀美術館で「生誕100年 川端実展」が開かれているのは
もちろん この二人が同じ1911年の生まれだからだ。
東京美術学校西洋画科の 藤島武二の教室で学んだ同級生。

二人の作品を対比させて何かを語りたいわけではない。
ただ ひっそりと静まり返った横須賀美術館の
広い展示室中央に置かれたソファに座り
「長方形 赤」というタイトルの絵を眺めていて
国立近代美術館は 今日もきっと混雑しているのだろうなと
ふと思ったのだ。

その絵は タイトルの素っ気なさのとおり
何かが具体的に描かれているのではないが
その前から動けなくなってしまうような
赤という色の純粋な美しさを持っていて
絵の前に座り込んで 少なくとも
10分や15分を費やすべき類いの作品だった。

「孤高」というのは 実にイカした言葉だと思う。


April 28, 2011

KITES ARE FUN



ときどき無性に食べたくなるものは ちゃんぽん。

ちゃんぽんと一口シューマイを頼んで
できあがるのをぼんやり待っていたら
壁に菱形の旗が下げられていることに気づいた。
その旗と同じものを 前に雑誌で見かけたことがある。
凧だ。
なるほど だからこの店の看板は菱形なのか。

注文した品が出てくるまでの間に
何かを発見すると 妙に嬉しいものである。

それにしても 長崎の凧は格好良い。
タコでなくハタと呼ぶそうだが
たしかに 船で使われる信号旗のように
シンプルで力強いデザインだ。

ああ また長崎に行きたくなった
と思い始めた頃合いに
ちゃんぽんがテーブルに運ばれてきた。


April 27, 2011

MANZANITA



"Manzanita the tips
in fruit,
Clusters of hard
green berries
The longer you look
The bigger they
seems,
little apples "

Gary Snyder


マンザニータの茂みを歩いた。
大学生の頃に買った『ユリイカ』の別冊
「谷川俊太郎による谷川俊太郎の世界」で
はじめてその名前を知った赤い樹皮の低灌木。
そこで紹介されていた ゲイリー・スナイダーが住む
キットキットディジーの近くでのこと。
『ユリイカ』を読んでいた頃は
自分が将来 ネヴァダシティーに来ることになると
想像してみようということさえ 頭に浮かばなかった。

前にソノマのカナードファームに行ったときに
ちょうどシェパニースに出荷する日で
木の幹に掲げられた長いリストを見せてもらったら
その中に「firewood」が含まれていた。
厨房のウッドオーヴンで使うための薪。
火力が強いマンザニータの枝が
野菜と一緒にバークレーに届けられるのだそうだ。


April 14, 2011

MR. TAMBOURINE MAN



ぼくにとって永井宏さんは 美術作家である以前に 憧れの編集者だった。80年代の終わり 田園調布駅前にあったカフェ『ドゥエ ソレッレ』ではじめてお会いしたのだが(紹介してくれたのは 生井英考さんか佐山一郎さんのどちらか) それ以前から『ブルータス』で名前を見知っていて ステレオブラザーズ名義のコラムも愛読していた。だから最初に「こちらは勝手に 前から存じ上げています」と自己紹介をしたのだ。

ときどきそのカフェで偶然に会って話すうちに ぼくが10年くらい大切に取ってあった『ZERO』という日本航空のパンフレットが 実は永井さんの仕事だと聞かされて驚いた。パンフレットの中味は いま まったく忘れてしまっているけれど アメリカ大陸の途方もない大きさと自由をぼくの心に刻み付け 保存しておこうと決めるのに充分すぎる魅力を持った内容のはずで その話に触れてから 編集者としての永井さんの存在は ぼくの中でますます大きくなった。

田園調布のカフェを根城にして 永井さんとぼくは『VISAGE』という雑誌をつくった。ジャック・タチの特集。永井さんの役割はアートディレクターだ。やがて 永井さんは逗子に引越してゆき 駅前のカフェも店をたたんでしまう。ある日 ご招待いただいて(むりやり押し掛けただけだったかもしれない)逗子のお宅におじゃましたことがきっかけで 永井さんの暮らしぶりにすっかりかぶれたぼくは 鎌倉で生活を始めることになった。友人や知人の家に行ったり来たりして手料理を食べるというような付き合いが苦手だったはずなのに この時期は よく永井さんの家で酒を飲んで「ミスター・タンブリンマン」を歌ったり 永井さんの紹介で知り合った人たちを家に招いて楽しく過ごした。そして 誰彼かまわず 鎌倉へ引越してきなよと誘った。

鎌倉に住んでいた頃 永井さんとぼくは『ガリバー』という雑誌のパリ特集を一緒につくり さらに『ブルータス』の湘南プロヴァンス特集(すごいタイトルだ)に参加した。永井さんが変名で原稿を書いて ぼくは ぼく自身と架空の人物がない混ぜになったキャラクターとしてそこに登場する。とても面白い協同作業だった。

永井さんが主宰した葉山のギャラリーが存在したことで どれだけの才能が発見され 勇気づけられ 巣立っていったかについては たぶんぼくよりも若い世代の まさにそこに集まった人たちのほうが良く知っているだろうし それについて語ってくれるに違いない。

「人と人を繋げる媒介役になること」や「もともとその人に備わっていた 何か良いものに気づかせること」は いまぼくが編集者としていつも心がけていることだが それを実際にお手本として ずっと変わらずやってみせてくれていたのが 永井さんなのだと思う。

永井さんが亡くなられたことを知った朝 バークレーから北上してネヴァダシティーへ向かった。そこはビート詩人のゲイリー・スナイダーが住む町でもある。フリーウェイを走り アメリカ大陸の途方もない大きさと自由を感じながら ぼくは永井さんを想った。カリフォルニアを彷徨っていて永井さんの葬儀に参列できないという偶然は とても切ない。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


April 10, 2011

CHANGE?



"あなたのすることはほとんど無意味であるが
それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは
世界を変えるためではなく
世界によって自分が変えられないようにするためである"

何度も行っているのに 今日 はじめて
フェリープラザビルディングの裏に
ガンジーの銅像があることに気づいた…。


April 8, 2011

VOTE!



柄にもないことを言うのを許してほしい。

先週の木曜にカミさんと期日前投票をしてきた。
本当はもっとじっくり検討したかったのだ。
でも 翌日から投票日過ぎまで不在になるので
この日に行くしかなかった。

不毛な選択だから選択をしないというのは
賢明な態度でも 冷静な判断でもなく
もっとも不毛な選択をしたということでしかない。

何かを選択することは不毛ではない。
どんな状況だろうと 選択肢が少なかろうと
考えて 選んで 自分の意志で前へ進めていくのは
日々 心がけているべきことだと思う。

棄権はもちろん 白票も無効票も
あなたが支持しない誰かを有利にするだろう。


April 4, 2011

PLEASE REFRAIN



パサディナのフリーマーケットを冷やかしてから
遅めの朝飯を食べようと
ブレントウッドの「カントリーマート」に
新しく出来たレストラン『FARM SHOP』へ行った。
チキンサラダを頼んだのだが
ジェムレタスやラディッシュの新鮮さ
ドレッシングの味付けの繊細さが
ロサンゼルスとは思えないほど素晴らしいと
同行者に話したら ソノマの有名店に居た人が
始めた店だと教えてくれた。
北カリフォルニアなら さもありなん。
とにかくそのサラダは抜群に美味かった。

"cell phones, tweeting and e-mailing
have been proved harmful
to other diners' appetites.
please refrain."

メニュー表のチキンサラダのすぐ下に
こんな一文が印刷されていることに気づいたときは
すでに後の祭り。
携帯で写真も撮り 急用で通話までしてしまっていた…。


March 22, 2011

BEEN TO CHANAAN


先週の金曜日 いつもより遅い飛行機で鹿児島に着いた。
たぶん『前田家』も『みまつ』も もう売り切れに違いない。
明日の朝の角食をどこで手に入れたらいいのか…
思わずため息をついたら 姶良に寄っていきましょうと
ジャッドくんが 慰めるように言った。
たしかに 石蔵がまだ『DWELL』だった頃に開かれた
オーガニックマーケットで
その店のサンドウィッチを買って食べたことがあるし
とても美味かったという記憶もある。
その店に角食があるかどうかは知らないけれど
この際 サンドウィッチでも構わないと思い
ジャッドくんのクルマに乗る。

予想通り『カナン』はいまどきのパン屋の構えをしていたが
中に入ってすぐにお目当ての角食が見つかる。
ただし「パンドゥミ」という札がついていた。
その名のほうがここに相応しいのは ぼくにも理解できる。
大きさは『ペリカン』の角食の小さいほうと同じくらい。
どこかでこそばゆさを感じながら
パンドゥミを一斤 買った。

さっき 空港へ行く前にまた『カナン』に寄って
明日の朝のための パンドゥミを二斤 買った。
開店と同時に電話して 焼き上がり時間を確認しておいたのに
それでも30分ほど早く着いてしまい
コーヒーを飲みながら焼き上がるのを待ったのだ。

また一枚 強力な持ち札ができたと
素直に喜んで良いのだろうか。
悩みが増えただけではないのだろうか。

March 21, 2011

CHURROS


田上にあるスペイン料理屋でランチを食べた。
最後に出てきたデザートはチュロス。
それだったら エスプレッソではなく
チョコラーテを頼むべきだったな…。

March 18, 2011

SOUTHBOUND


遠出をするときにいつもそうしていることを
今朝はちょっとためらってしまった。
そしてためらったことで
ちょっとイヤな気分になった。

ためらう必要などないはずだ。

夏に完成させるものの準備を
今日から始める。

March 17, 2011

0311


何々に比べたらという言葉を使わないで書きたいと思う。

立花英久の小さな像を 彼の展示を観にいったときに購入して
会期が終わっていたのに なかなか取りにいけないでいた。
先週の金曜日の午後 ようやく時間ができ
飯倉片町のビルの三階にあるギャラリーまで出かけた。
エレベーターに乗ったとたん 電気が消えると同時に
すぐに降りてくださいという自動音声が流れた。

日曜日になって 気分転換に新宿まで昼ご飯を食べに出た。
バスに乗るとめずらしく満員だ。
いや よく見ると後ろのほうの二人掛けのシートには
空きがたくさんあった。
ただ 誰もが荷物を脇に置いていたり
通路側寄りに座っていて 目を合わせてもくれない。

東京は何も変わっていないと思った。

家に戻ってから 金曜日に持ち帰りそのままにしていた
包みを解いた。
個展のタイトルが「カナシミ」だったことを思い出す。

March 9, 2011

IN HIS GARDEN



昨日 銀座へ行く用事があったので
約束よりも少し早く出て『ペリカン』で角食を買った。
わざわざ田原町まで遠出をしたのは
数日前に友人からマーマレードが届いたからだ。

友人のお父さんの庭になった夏みかんで
お母さんがつくったマーマレード。
その夏みかんの木を ぼくは何度か見せてもらったことがある。

口の中に広がる酸っぱさと甘さとほろ苦さが
初夏の風に揺れていたあの背の高い木が
まるで目の前にあるように思わせてくれる幸せと
近所に朝早くから営業している
角食のおいしいパン屋がないことの不幸を
同時に感じる一日の始まりだった。

February 28, 2011

AFTERNOON TEST


会場に爆音で鳴り響く電子音楽。
曲が終わってもアンコールの拍手がわかなかったのは
みんなとても遠い世界に連れていかれ
我に返るまでに時間がかかったからなのだと思う。
しんと静まる中 ステージに戻ってきたヤンさんが
アコースティックギター1本で
大野由美子と「窓から」という曲をデュエットする。
それが ドゥーピーズの「Trough My Window」だとは
すぐには気づかなかった。

建物の外で友人が出てくるのを待っていたら
ひょっこりとヤンさんが現れた。
少しだけ立ち話をする。
最後が弾き語りとは思わなかったと言ったら
「キザだった?」と ヤンさんは笑った。

February 25, 2011

BIRD ON A WIRE


チェンマイの日本語情報紙を読んでいて
古都景観保護のため
ターペー通りとチャーンクラン通りで
電線を地下に埋設する計画があることを知る。
いまのところ 工事が開始される気配は
まったくないらしいのだが…。

その日の夕方に見上げたチェンマイの空は
いつにも増して切なかった。
そして「電線の鳥」を無性に聴きたくなった。
レナード・コーエンだけでなく ティム・ハーディンも。