December 30, 2011

R.I.P.



今年 いちばん違和感を感じたこと。


敬愛する誰かが亡くなったときの悲しみは大きく

心から弔意を表明したいと思うのは当然のことだ。


でも いつからか… 否… 明らかに

twitter や Facebook が日常的になって以降


そんな意図がないことはきちんと理解できているのに


誰かが亡くなった日のそれは


誰よりも早く


哀しみに打ちひしがれる気持ちを言葉にし

いちばんの理解者が自分であることを語り

胸に響く生前の想い出を披露するという


ある種の競争をしているように見えて仕方がないのだ。

(もちろん自分も この傾向と無縁とは言い難い)


身体の隅々に沁みわたる哀しみが落ち着くまで

黙して語らず

偉大なる者の不在を胸の奥底で実感したときに

ゆっくりと湧きあがってくる何かを静かに待つのは


この時代には もう そぐわない態度なのだろうか。