March 24, 2014

8 MILES OF BOOKS #42

 

果てしのない本の話 第42話 アシッドテスト

 先週末のヤン富田「ビート禅」演奏会は充実した本当に素晴らしい内容だった。家でいろいろ思い返しながら会場で配られたレジュメをあらためて読む。
 再録された「ビート禅アーカイヴ」の初出は2004年に発売された『リラックス』だ。ケン・キージーの『ACID TEST』というLPに関する記述が目にとまる。処女小説『カッコーの巣の上で』で有名になったキージーは、LSD体験パーティー「アシッドテスト」のオーガナイザーでもあり、その時代のケン・キージーとメリー・プランクスターズ(後に『ホールアースカタログ』をつくるスチュワート・ブランドも参加していた)やニール・キャサディーのことを描いた『クール・クール LSD 交感テスト』はトム・ウルフの初期の代表作で、このノンフィクションによってウルフはニュージャーナリズムの旗手的な存在となったことを思い出した。まだ『現代美術コテンパン』を読み終えていないのに、こちらを先にすべきかもしれないと気がそぞろになる。
 ヤンさんの演奏会々場には、アーカイヴに出てくる本やレコードの一部が展示されていた。ビート禅提唱者のアラン・ワッツのLPも4枚まとめて壁に飾られている。左から『俳句』『禅』、中央にワッツのポートレイトと落款、そして『THIS IS IT』『俳句』の別ジャケット。『THIS IS IT』はLSD投与により意識を拡張して制作されたレコードの先駆的作品として、ヘンリー・ジェイコブスやウィリアム・ラフボロらとともに1962年に発表されたもの。レジュメに書かれた解説を読むうちに、むくむくとおかしな考えが浮かんできた。マイク・ミルズはアラン・ワッツを知っているのだろうか。もしくは『リラックス』の「ビート禅」特集を見たのだろうか。「ビート禅」と同じ号に、はじめての長編映画『サムサッカー』制作で悩むマイクのインタビュー記事が、映画のロケ現場でホンマタカシさんが撮影した写真とともに載っているから、目に触れる機会はあったに違いない。急にそんなことが気になったのは、2005年に『今日の買い物』という本を出すにあたり、ぼくはその表紙をマイクに頼んだのだが、送られてきたのは「IS THIS IT?」と書かれたショッピングバッグの絵だったからだ。マイクには「買い物中毒の本だよ」と内容を説明してあったので、これは何を手に入れても満足しない姿を皮肉った言葉なのだと、いままでは解釈していた。でも、「ビート禅」の演奏の後にワッツのLPジャケットを見たら、何か関連があるのかもしれない、関連があったら面白いなと思い始めた。もちろん、ただの偶然だろうことはわかっている。けれど、いままでにこんな偶然もあったのだ。3年前に取材で仲良くなったオークランド在住の友人の伯父が、サンフランシスコ禅ゼンターの創設者だった。その友人と一緒に仕事をしているのは「ビート禅」特集と同じ号に掲載されたインタビュイーの息子だった。友人の父親は、若い頃に京都で宮大工の修行をしていて、いまはカリフォルニアで個人住宅の設計施工をしている。マイクは自分の別荘を日本建築にしたいと考えていた時期があって、そのときに友人の父に会っている。ちなみにマイクと友人はいまだに面識はないのだが。(つづく)

ヤン富田『BEAT ZEN  kute nete dojo』(2014年、Audio Science Laboratory)

トム・ウルフ『クール・クール LSD 交感テスト』(1971年、太陽選書)

March 21, 2014

8 MILES OF BOOKS #41


果てしのない本の話 第41話 現代美術コテンパン

 先日、大分県日田市にある「シネマテーク・リベルテ」という小さな映画館で『ビル・カニンガム&ニューヨーク』を観た。ビル・カニンガムは『ニューヨークタイムズ』紙で「ON THE STREET」と「EVENING HOURS」という写真コラムを担当している、85歳の現役バリバリなフォトグラファーにしてストリートファッション・スナップの開祖的な存在。少なくともニューヨークのファッション業界や社交界において彼のことを知らない者は居ないと言われている。映画宣伝用ウェブサイトにあったアナ・ウィンターの「私たちは、ビルのために着飾るのよ」という言葉を誤読して、はじめは業界の中心にいる超大物の伝記なのかと勘違いしていたのだけれど、実際にこのドキュメンタリーを観てみると、ファッション業界や社交界の外に身を置くために徹底的に貫いているものがあるからこそ、多くの人から評価され尊敬されるのだということがよくわかる。高潔でいながら楽し気なビルの姿に、3度目のこの日もあらためて感動した。
 ただ、3度観て3度とも不思議に思うのは、2008年に彼がフランス文化省から芸術文化勲章オフィシエを受けた際に、感極まったように声を震わせながらスピーチを締めくくるのだが、「まさか受けてくれると思わなかった」と授与する側がコメントするほどに栄誉や報酬を遠ざけてきたビルが、どうしてこの勲章だけは受け取ったのだろうかということだ。芸術を志す若者がみなパリを目指した時代は確かにあったけれど、いまのフランスにかつてのような吸引力があるとは思わない。ただファッションに関わるすべての人にとっては、世界の中心はいまだパリなのだということを認めざるを得ないシーンかもしれない。
 第二次世界大戦後に芸術の都はパリからニューヨークに移った。戦前はパリに住んでいた猪熊弦一郎が、戦後ふたたびパリに戻ろうと考えたのに、アメリカ経由にしたため、抽象表現主義の熱情に絡めとられてニューヨークに住み始めたというエピソードは、遷都があったことの証拠のひとつだと思う。では、いま現在の「芸術の都」はどこにあるのだろうか。
『ビル・カニンガム&ニューヨーク』にトム・ウルフが出演していた。トレードマークの白いスーツと台襟の高いブルーのシャツと銀鼠色のドットタイ姿で、ニューヨーク社交界について「新聞の社交欄にしばらく載っていないと死んだと思われる」と語る。その可笑しくてシニカルな物言いに、80年代に夢中になって彼の著作を読んでいたことを思い出し、久しぶりに『現代美術コテンパン』を書棚からひっぱりだした。原語で読む英語力はないから、常に日本語で読んできたのだけれど、おそらくトム・ウルフの文体は相当に独特なもので訳者泣かせだと想像できる。原文を生かすために工夫をこらした翻訳は、ちょっといまの言語感覚に合わなくなっている気がする。ただ、庄司薫を再読したときと同じで、だんだん内容の面白さが文体の違和感を薄めてくれるようになった。出版当時は何もわからずに読んでいたこの本に、抽象表現主義の画家たちの名が次々と出てくることや、ユニヴァーシティプレイスにあったという「シダー・バー」の写真までが掲載されていたことに驚く。当時のぼくは、何を面白いと思っていたのだろうか。(つづく)

トム・ウルフ『現代美術コテンパン』(1984年、晶文社)

January 21, 2014

A LONG VACATION


 先々週のこと 次の約束まで少し時間があったので 浅草の国際通りに面したカフェの2階にあるバーに寄った。ステイプルチェイス盤のチェット・ベイカーが低い音量で流れている。他に客の居ないカウンターの真ん中でジントニックをゆっくり飲むうちに いま出て地下鉄に乗ればちょうど良いという時間になった。勘定を済ませて階段を降りる。バーを目指している時には気づかなかったのだが 隣は小さなレコード屋だった。軒下にスピーカーがあって わりと大きなボリュームで歌が聞こえてくる。「カナリア諸島にて」だ。たまたま有線か何かでかかっているのか それともこの店が意志を持ってかけているのかが 何故だか急に気になり出して ガードレールに寄りかかり次の曲を待つ。「Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba 物語」だった。だんだん離れ難くなってくる。そのまま「恋するカレン」までを舗道で聴き 待ち合わせの相手に遅れる旨をメールして地下鉄の駅に向かった。歩きながら 「大瀧詠一はもうこの世から居なくなってしまったのだ」という事実を そろそろ受け入れなくてはならないと思い始めた。

 大瀧詠一が亡くなった日 たくさんの弔辞がツイッターに流れてきたけれど その言葉自体に嘘はないとわかってはいても 短時間のうちにあまりにも簡単に哀悼の意を競うように吐露することには 少なからず違和感を覚えていた。だからぼくにとってはどんな感動的な言葉よりも 入口のガラス戸に演歌歌手のサイン入りポスターを貼っているようなレコード屋が『ロング・バケイション』をかけていた夜にその前を通るという偶然のほうが 心のいちばん深いところに届く不在の悲しみだったのだ。

 大瀧詠一はもうこの世から居なくなってしまった。


December 30, 2012

FOLKMILL


数日前に東古川町の『洋食屋ゴーシュ』が今月29日で閉店することを知った。つまり昨晩 最後の営業を終えたのだと思う。

『洋食屋ゴーシュ』には一度しか行ったことがない。先月の中頃だ。長崎の友人に「ワインを飲みながらひとりで食事をできる店があれば」と訊いて教えてもらった。店に入るとまだ他に客はなく 厨房からおそらくはぼくとそれほど年齢が違わないだろう男性が現れた。「ビオワインが飲めると聞いたので」と言うと「ビオワインって 例えばどんなのが好きですか?」と質問された。「ガメイが好きです」と答えたら ちょっと相好を崩したように見えた。「マルセル・ラピエールとか」と畳み掛けてみる。「最近はフランスのものが面白く感じられなくなって イタリアばかりにしているけれど それで良ければ」と言われたので 料理もワインもお任せすることにした。

料理を待つ間 店内に低く流れている音楽を聴いた。ブリティッシュフォークだった。誰の曲かは思い出せない。そのうちに ひとり女性客が入ってきた。店主は彼女にも同じようにどんな食事をしたいかを尋ねた。彼女も 今夜 はじめてここに来たようだ。

料理は何風というのでもなく メキシコとインドと東南アジアとフレンチが混じったような 要するに無国籍でオリジナルな味がする。ワインも美味しい。ちょっと酔ってきたのを良いことに 2皿目の料理を運んできた店主に「ブリティッシュフォークがお好きなんですね」と声をかけてみる。すると逆に あなたはブリティッシュフォークが好きなのかと詰め寄られた。学生の頃に渋谷百軒店にあった『ブラックホーク』あたりで覚えた程度ですと答えた途端に 満面の笑みとともに「聴かせたいレコードがあるから」と 店主は奥に引っ込んだ。そうして3枚のLPを抱えて戻ってきてテーブルの上に置いた。そのうちの1枚は バリー・ドランスフィールドのフォークミル盤だった。

そうやってぼくらの音楽談義が始まり やがて女性客も加わった(偶然にも彼女もまた マニアックな音楽好きだったのだ)。店主が話に夢中になり料理の手が止まったのは残念といえば残念だったけれど こんなに面白い夜もそうそうないだろうから ずっとレコードを聴きながら喋り続けた。

以上が『洋食屋ゴーシュ』にまつわる ぼくの唯一の想い出話だ。次に長崎へ行っても もうあの店は無い。


October 3, 2012

AUTUMN HAS COME


 ぼくはウエスト洋菓子舗のツイッターをフォローしている。昨日、原稿をすべて書き終えてぼうっとツイッターの画面を眺めていたら 突然 自分の名前がタイムラインに出てきた。それは日本橋三越新館にあるウエスト「レトロカフェ」が 秋の限定メニューを始めたという内容で その期間限定のマロンシャンテリーは そもそもぼくの勘違いから出来上がったものだと書いてある。確かにそれは事実だが 140字にまとめるには少しばかり長い話なのだ。誤解が生じないように ここにあらためて書いておきたい。

"マロンシャンテリーが食べたくなって目黒の「ウエスト」に行った。アイスクリームと生クリームと栗の甘露煮を華奢なグラスに盛ったあのデザート。ところが、水とともに差し出されたメニューを見てみると、マロンシャンテリーがどこにもない。そういえばあれは栗の季節だけの限定だったかもしれないと思ったが、一応、注文を聞きにきたウェイトレスに「マロンシャンテリーはこの季節はないのですか?」と尋ねてみた。いかにもウエストの従業員らしい、理知的な顔立ちをしたその若い女性は、思いの外きっぱりと「こちらではそのようなメニューを扱ったことはございません」と答える。そんなはずはない。何度かここで食べているのだから。そう伝えると、さらにきっぱりと「それは当店ではないと思います。他のお店と間違っていらっしゃるのではないでしょうか。千疋屋さんとか、どこかフルーツパーラーなどと」と言うのだ。いずれにしても、いまここにはないということだから、マロンシャンテリーは諦めてモンブランとコーヒーにする。コーヒーを待っているうちに、確かに彼女に言われたとおり、マロンシャンテリーをよく食べたのはウエストではなく、閉店してしまった8丁目の銀座千疋屋本店だったことを思い出した。意地にならなくて良かった。あなたが小学生だった頃から自分はこの店に通っているなどと言わなくて本当に良かった。
 そしてあらためてウエストに感心する。ふつう、若い店員が商品についてここまで自信を持って客に説明することは、いまやそうあることではないだろう。「そんなことはないはずだ」と言った時点で、「少々、お待ちください」と上司なり責任者なりに確認にいくのではないか。なのに、彼女は揺らぐことなく、かつ嫌な感じを相手に与えまいと気遣いながら、「ない」と言い切った。徹底的に扱う商品のことを覚えさせているということだ。素晴らしい従業員教育。ふと、まったく逆の受け止め方もできるかもしれないという気もした。しかし、自分はそもそもウエストを好ましく思っているので、贔屓目かもしれないが、この体験はウエストの素晴らしさを証明するエピソードとして記憶することにする"

 この文章は 2005年6月発売の拙著『今日の買い物』に収めたものだ。もともとは2004年か2005年の秋以外の季節にブログに書いた。ウエストには内容を確認してもらい掲載の許可を取って できあがった本を送っていた。しばらくしてウエストから出版社に問い合わせがあった。あの文章をコピーしてレトロカフェのテーブルに置きたいのだが 問題はないだろうかという内容だったそうだ。日本橋三越のオータムフェアに合わせて ウエストが栗を使ったデザートを用意することになり どういうわけかぼくの文章に書かれていたマロンシャンテリーを実際につくってみようという話になったらしい。「幻のマロンシャンテリー」と名付けられたそのメニューの「幻」の意味を説明するために ぼくの文章を使いたいのだという。千疋屋でよく食べたマロンシャンテリーを ウエストのものだと勘違いして恥をかきかけたという話から 実際にマロンシャンテリーをつくってみようという ユーモアある企画を誰が考えたのかは知らないけれど とても光栄に思った。その年 ぼくはレトロカフェに出かけ「ウエストのマロンシャンテリー」をはじめて食べながら感慨に耽った。

 その後 マロンシャンテリーはレトロカフェの秋恒例のメニューになっていたらしい。そのことをはじめてツイッターで知ったぼくは 矢も盾もたまらず外出し 日本橋三越でマロンシャンテリーを食べてきた。そうしないと男が廃ると思ったのだ(大袈裟だけど)。幸いにも店内には空席があったので 待つことなくすぐに食べることができた。あらためてあのときの粋な計らいと それをいまも続けてくれていることに感激した。


September 26, 2012

CAL. IN SEP.


根津から千駄ケ谷に戻る前に寄り道をした。行く先は田原町で 帰る方向とは反対だから それを寄り道と呼ぶのは強引かもしれないが 出かけるときには考えていなかったことなのでそう書くことにする。

根津で友人と昼食の約束があった。中華料理店を予約してくれたのだそうだ。でも店の前まで来てみると 昼食の予約をするなんて 友人にとっても店の人にとっても初めてなんだろうなと容易に想像がつく 気取りのない町の小さな中華屋だった。ハム炒飯と五目焼きそばとトマトの炒め物を頼んだ。

友人が「旅のみやげです」と言って渡してくれた紙袋を開けると 小さな瓶に詰められたジャムが入っていた。「CAL. IN SEP.」とスタンプを押された白いラベルが貼られている。彼が旅先のファーマーズマーケットで買った3種類のプラムとレモンを 泊まっていたモーテルのキッチンにあった小さな鍋で炊いてつくったものだそうだ。

彼と奥さんの旅の様子はインスタグラムにアップされる写真で見ていた。それは毎朝 家のポストに絵葉書が届くような感覚だった。その中にたしかにジャムを炊く写真もあったかもしれない。そのジャムが自分の手許にくるとは思っていなかったから とても嬉しかった。

このジャムを食べるなら 東京でいちばん好きな角食を用意しなければならない。だから「ペリカン」へ寄ることにしたのだ。友人も一緒に行くというので 根津から不忍池の横を通って御徒町まで歩き そこから地下鉄に乗って田原町で降りる。ちょうど焼き上がったばかりの角食が棚にあって まだ熱過ぎて切れないようなので 1本まるまる買うことにした。

さっき ペリカンの角食を焼いて友人のジャムをつけて食べた。とても美味しく そして教えられることの多いジャムだった。


September 20, 2012

ON SATURDAY



DOMMUNE で何かを見るということを一度しかしたことがないのに 昨晩はそこに出演した。しかも夜の9時から。実際には進行が遅れて スタートは9時半を過ぎていた。いつもなら夕食も済んで風呂にも入り うつらうつらしている時間だ。そんな男がノコノコと場違いなところに出かけたのは それがヤン富田さんに関するトークだったからだ。きっと川勝正幸さんが生きていたら 彼が座るべき席だったのだと思う。

自分に求められていることが ヤンさんとのこれまでの仕事の中で感じたことやちょっとした裏話というものだったろうから それに従って『VISAGE』や『relax』の話をした。でも 本当は「レコード産業は20世紀で終わってしまったんだよ」という発言以降のヤンさんがやっているコンサート(あるいはレクチャー)形式の新曲発表を観たことがない人のために その途方もない面白さを伝えたいと内心で思っていた。

ぼくはときどきヤンさんと都内のホテルで中庭をながめながらお茶を飲むことがある。そのときのヤンさんの話は希望や閃きに輝きに満ち満ちていて 帰り道にひとりになると口笛を吹いたり鼻歌を歌ったりしたくなる。それは自分だけに与えられた特権なのかもしれないが ぼくが観ているここ数回のヤンさんのコンサートは ホテルで一緒に過ごすときのあの時間の流れとぜんぜん違わない。ましてやそこにレジュメや新曲(自分がコントロールできないものと自分がコントロールできるものを融合させた音楽)がついてくるのだ。

今週の土曜日にリキッドルームで行われるコンサートが楽しみで仕方がない。音楽好きだけでなく アートが好きな人も来たほうが良いと思う。


September 2, 2012

BUTSU-BUTSU



もしあなたが すでにホンマタカシと岡尾美代子による写真集『物物』を手に入れていたとしても それは丸亀の猪熊弦一郎現代美術館へ行かない理由にはならない。『物物』はあくまで “関連書籍” であって 「物物」展のカタログではないからだ。

書籍の『物物』を先に見ていたぼくは 岡尾美代子の役割を過小評価していたことを 実際の展示を観てようやく思い知った。彼女は圧倒的に素晴らしい。

復刊が待たれる『画家のおもちゃ箱』は コレクションの持ち主である猪熊弦一郎自身が被写体をセレクトし それにまつわる思い出を文章にして寄せた大判の写真集だ。猪熊自身の作品と同等に 作家の美的感覚を伝える本である。猪熊が蒐集したアンティークや拾得物は 岡尾美代子にとってもたぶん宝の山だったに違いない。普通なら猪熊弦一郎の眼から何らかの影響を受けたり そこから発生する敬意が制約に繋がったりするだろうに 彼女には揺らがない強固な意志と趣味がある。岡尾美代子が自由に選んで組み合わせた今回の展示は  はじめて猪熊弦一郎のコレクションを間近に眺めることができるという喜びを遥かに超えた 迫力のある展示だった。書籍の『物物』ではホンマタカシの写真が主役だったとぼくは思うが 「物物」展では 岡尾美代子の眼が主役を(そして物の持ち主だった猪熊弦一郎をも)食ってしまっている。

25年以上も付き合いのある岡尾美代子の仕事の いったい何を ぼくはいままで理解したつもりになっていたのだろうか。脱帽としか言いようがない。


* 写真は美術館の許可を得て撮影しました。


August 31, 2012

NEW DOCUMENTARY



もしあなたが すでに金沢21世紀美術館や東京オペラシティアートギャラリーで「ホンマタカシ ニュー・ドキュメンタリー」展を観ていたとしても それは丸亀の猪熊弦一郎現代美術館へ行かない理由にはならない。同じ写真でも 会場が変われば見え方も違うし ホンマタカシ自身の考える展示構成も変わるからだ。

とはいえ かく言うぼくにとっても ひとりの作家の巡回展をすべての会場で観るという経験はこれまでなかったし もしかしたらこれからもないかもしれない。

金沢と東京の展示の違いが このふたつと丸亀の展示の違いに比べたらぜんぜん小さかったと思うほど 今回は劇的に変わった部分があった。それによって新しい発見があり 本質的な理解に少し近づけたような気もする(勘違いだとしても)。例えばぼくは どうしても好きになれなかった作品を「案外 良いかもしれない」と思い始めたし いちばん好きだった作品をこれまでよりもさらに近距離でじっくり観ることができた。そして「その森の子供」の展示方法が 驚きがあってとても良かった。

そうそう。受付から階段で上がっていくか エレベーターで3階に行ってから階段を使って下りてくるかでも きっと印象はまったく違うだろう。ぼくは何も考えずに階段を使ったが いま思うと 上から下へ進むのが正しい順路だったような気がしないでもない。いずれにしても どちらを選ぶかはあなた次第だ。


* 写真は美術館の許可を得て撮影しました。


June 28, 2012

THE NIGHT IS YOUNG



昨夜 すごい音楽をたくさん聴いた。
いつもなら寝てしまっている時間に放送されるものだから 記念すべき初回以外 最後まで聴いた記憶がほとんどない『小西康陽 これからの人生』。池袋のはずれにあるスナックで収録したという昨夜の回は はじめて耳にする音楽ばかりだった(原曲を知っていたとしても 驚きが随所にある)。


店主がインドネシアで手に入れたレコードをかける。アナウンサー(彼の語り口調もまた この夜の音楽に最高にマッチしていた)が質問し 店主が答える。店主の抑揚のない喋り方は眠気を誘うタイプのものなのに 不思議なことにまったく眠くならない。時計を見ながら残り時間が少なくなっていくことを悲しく思いながら聴き続けた。
池袋のスナックは 架空の店ではないようだ。そこへ行くことは 調べればできそうだし きっとぼくの友人たちともどこかでこの店に繋がっているだろう。でも ある夜 寝る前にラジオから流れてきた音楽に耳を奪われて 番組の終わりまで寝ずに聴いたという体験以上のものが そこにあるのかどうかはわからない。誰かが親切に「一緒にあそこへ行きましょう」と誘ってくれても たぶんぼくは臆病だから断るかもしれない。
前後不覚に酔っぱらった夜(なんてことがそもそもありえないのだけれど)酔いを醒すために歩き始めて道に迷い 疲れて仕方なくふらりと入った店で 聴いたことのないような聴いたことのあるような音楽が流れている。そして気づく。「あ もしかしてこれは! そうか ここだったのか…」。もしそこを訪れる機会がめぐってくるとしたら そういうのが理想だ。
昨夜は ザ・ピーナツの伊藤エミが亡くなったというニュースが流れた日でもあった。