April 29, 2011

ABSTRACT



東京国立近代美術館で「生誕100年 岡本太郎展」が
華々しく開催されている同じ時期に
横須賀美術館で「生誕100年 川端実展」が開かれているのは
もちろん この二人が同じ1911年の生まれだからだ。
東京美術学校西洋画科の 藤島武二の教室で学んだ同級生。

二人の作品を対比させて何かを語りたいわけではない。
ただ ひっそりと静まり返った横須賀美術館の
広い展示室中央に置かれたソファに座り
「長方形 赤」というタイトルの絵を眺めていて
国立近代美術館は 今日もきっと混雑しているのだろうなと
ふと思ったのだ。

その絵は タイトルの素っ気なさのとおり
何かが具体的に描かれているのではないが
その前から動けなくなってしまうような
赤という色の純粋な美しさを持っていて
絵の前に座り込んで 少なくとも
10分や15分を費やすべき類いの作品だった。

「孤高」というのは 実にイカした言葉だと思う。


April 28, 2011

KITES ARE FUN



ときどき無性に食べたくなるものは ちゃんぽん。

ちゃんぽんと一口シューマイを頼んで
できあがるのをぼんやり待っていたら
壁に菱形の旗が下げられていることに気づいた。
その旗と同じものを 前に雑誌で見かけたことがある。
凧だ。
なるほど だからこの店の看板は菱形なのか。

注文した品が出てくるまでの間に
何かを発見すると 妙に嬉しいものである。

それにしても 長崎の凧は格好良い。
タコでなくハタと呼ぶそうだが
たしかに 船で使われる信号旗のように
シンプルで力強いデザインだ。

ああ また長崎に行きたくなった
と思い始めた頃合いに
ちゃんぽんがテーブルに運ばれてきた。


April 27, 2011

MANZANITA



"Manzanita the tips
in fruit,
Clusters of hard
green berries
The longer you look
The bigger they
seems,
little apples "

Gary Snyder


マンザニータの茂みを歩いた。
大学生の頃に買った『ユリイカ』の別冊
「谷川俊太郎による谷川俊太郎の世界」で
はじめてその名前を知った赤い樹皮の低灌木。
そこで紹介されていた ゲイリー・スナイダーが住む
キットキットディジーの近くでのこと。
『ユリイカ』を読んでいた頃は
自分が将来 ネヴァダシティーに来ることになると
想像してみようということさえ 頭に浮かばなかった。

前にソノマのカナードファームに行ったときに
ちょうどシェパニースに出荷する日で
木の幹に掲げられた長いリストを見せてもらったら
その中に「firewood」が含まれていた。
厨房のウッドオーヴンで使うための薪。
火力が強いマンザニータの枝が
野菜と一緒にバークレーに届けられるのだそうだ。


April 14, 2011

MR. TAMBOURINE MAN



ぼくにとって永井宏さんは 美術作家である以前に 憧れの編集者だった。80年代の終わり 田園調布駅前にあったカフェ『ドゥエ ソレッレ』ではじめてお会いしたのだが(紹介してくれたのは 生井英考さんか佐山一郎さんのどちらか) それ以前から『ブルータス』で名前を見知っていて ステレオブラザーズ名義のコラムも愛読していた。だから最初に「こちらは勝手に 前から存じ上げています」と自己紹介をしたのだ。

ときどきそのカフェで偶然に会って話すうちに ぼくが10年くらい大切に取ってあった『ZERO』という日本航空のパンフレットが 実は永井さんの仕事だと聞かされて驚いた。パンフレットの中味は いま まったく忘れてしまっているけれど アメリカ大陸の途方もない大きさと自由をぼくの心に刻み付け 保存しておこうと決めるのに充分すぎる魅力を持った内容のはずで その話に触れてから 編集者としての永井さんの存在は ぼくの中でますます大きくなった。

田園調布のカフェを根城にして 永井さんとぼくは『VISAGE』という雑誌をつくった。ジャック・タチの特集。永井さんの役割はアートディレクターだ。やがて 永井さんは逗子に引越してゆき 駅前のカフェも店をたたんでしまう。ある日 ご招待いただいて(むりやり押し掛けただけだったかもしれない)逗子のお宅におじゃましたことがきっかけで 永井さんの暮らしぶりにすっかりかぶれたぼくは 鎌倉で生活を始めることになった。友人や知人の家に行ったり来たりして手料理を食べるというような付き合いが苦手だったはずなのに この時期は よく永井さんの家で酒を飲んで「ミスター・タンブリンマン」を歌ったり 永井さんの紹介で知り合った人たちを家に招いて楽しく過ごした。そして 誰彼かまわず 鎌倉へ引越してきなよと誘った。

鎌倉に住んでいた頃 永井さんとぼくは『ガリバー』という雑誌のパリ特集を一緒につくり さらに『ブルータス』の湘南プロヴァンス特集(すごいタイトルだ)に参加した。永井さんが変名で原稿を書いて ぼくは ぼく自身と架空の人物がない混ぜになったキャラクターとしてそこに登場する。とても面白い協同作業だった。

永井さんが主宰した葉山のギャラリーが存在したことで どれだけの才能が発見され 勇気づけられ 巣立っていったかについては たぶんぼくよりも若い世代の まさにそこに集まった人たちのほうが良く知っているだろうし それについて語ってくれるに違いない。

「人と人を繋げる媒介役になること」や「もともとその人に備わっていた 何か良いものに気づかせること」は いまぼくが編集者としていつも心がけていることだが それを実際にお手本として ずっと変わらずやってみせてくれていたのが 永井さんなのだと思う。

永井さんが亡くなられたことを知った朝 バークレーから北上してネヴァダシティーへ向かった。そこはビート詩人のゲイリー・スナイダーが住む町でもある。フリーウェイを走り アメリカ大陸の途方もない大きさと自由を感じながら ぼくは永井さんを想った。カリフォルニアを彷徨っていて永井さんの葬儀に参列できないという偶然は とても切ない。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


April 10, 2011

CHANGE?



"あなたのすることはほとんど無意味であるが
それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは
世界を変えるためではなく
世界によって自分が変えられないようにするためである"

何度も行っているのに 今日 はじめて
フェリープラザビルディングの裏に
ガンジーの銅像があることに気づいた…。


April 8, 2011

VOTE!



柄にもないことを言うのを許してほしい。

先週の木曜にカミさんと期日前投票をしてきた。
本当はもっとじっくり検討したかったのだ。
でも 翌日から投票日過ぎまで不在になるので
この日に行くしかなかった。

不毛な選択だから選択をしないというのは
賢明な態度でも 冷静な判断でもなく
もっとも不毛な選択をしたということでしかない。

何かを選択することは不毛ではない。
どんな状況だろうと 選択肢が少なかろうと
考えて 選んで 自分の意志で前へ進めていくのは
日々 心がけているべきことだと思う。

棄権はもちろん 白票も無効票も
あなたが支持しない誰かを有利にするだろう。


April 4, 2011

PLEASE REFRAIN



パサディナのフリーマーケットを冷やかしてから
遅めの朝飯を食べようと
ブレントウッドの「カントリーマート」に
新しく出来たレストラン『FARM SHOP』へ行った。
チキンサラダを頼んだのだが
ジェムレタスやラディッシュの新鮮さ
ドレッシングの味付けの繊細さが
ロサンゼルスとは思えないほど素晴らしいと
同行者に話したら ソノマの有名店に居た人が
始めた店だと教えてくれた。
北カリフォルニアなら さもありなん。
とにかくそのサラダは抜群に美味かった。

"cell phones, tweeting and e-mailing
have been proved harmful
to other diners' appetites.
please refrain."

メニュー表のチキンサラダのすぐ下に
こんな一文が印刷されていることに気づいたときは
すでに後の祭り。
携帯で写真も撮り 急用で通話までしてしまっていた…。