October 2, 2011

A LA PLANCHA



前に勤めていた出版社で、長尾智子さんの著書の編集を担当させてもらったことがある。長尾さんが、愛してやまないバスク地方の文化や食べ物について書いた本なのだが、取材に同行できるという話があったにもかかわらず、他の仕事と重なったためにそのチャンスを棒に振ってしまった。前職に心残りがあるとしたらひとつだけ、バスクへ行けなかったことだ。


一昨年だったか、何かの雑誌に長尾さんが九州について書いていて、熊本にあるバスク料理のレストランを紹介していた。いつかバスクへという願いはその後もなかなか叶わないけれど、熊本のバスク料理ならいつでも行けるはず。ところが高を括ったのが良くなかったか、熊本へ行く機会がなかなか訪れない。博多から鹿児島へ、あるいはその逆を新幹線で移動していて熊本駅に停車する度に、まだ見ぬバスク料理がいつも頭をかすめるのだった。


この間、鹿児島から東京へ戻る前に大阪へ寄らなければならない用事があって、中央駅まで切符を買いに出かけた。三連休の直前だったから、みどりの窓口には長い行列ができていて、ぼんやり順番を待っていると、熊本まで新幹線ならたった1時間弱なのだからすぐにでも行けるじゃないかという誰かの声が聞こえた。誰かとはもちろん自分だ。携帯電話で「熊本、バスク料理」とキーワードを入れて検索してみる。<IRATY>という名前の店がすぐに見つかった。それが長尾さんが書いていたレストランだったかどうかはわからないが、熊本にバスク料理を出す店が何軒もあるとは思えず、すぐに電話をかけた。もし満席だったら行く機会はさらにずっと先になったに違いない。だが幸運にも翌日の昼に空席があったのだ。窓口で新大阪への片道切符と一緒に、熊本までの切符も買った。


店の中は4人用のテーブルがふたつとカウンターのみで、カウンターも端のほうに椅子が2脚あるだけだった。入るときに見かけた看板には「本日は満席です」と書いてあったのだが、客は自分を入れて5人だけ。手伝いの女性はいるものの、料理もワインを選ぶのも予約の電話を受けるのも、どうやらシェフがひとりでやっている様子だ。目が行き届くようにするためにはこのくらいの人数に留めておきたいのかもしれない。ランチコースのみだった。前菜にパテのサラダ、メインに赤鶏のバスク風煮込を選び、グラスワイン3杯とともに食べた。どうしてもワインを我慢できなくなる料理だったのだ。厨房のレンガの壁の前に炭火焼の道具、プランチャが据えられている。そこで焼かれている肉のなんと美味そうなことか。他の客のテーブルへ運ばれるその肉を眺めていて、次は夜に来てアラカルトで注文しようと決意した。そのときは鹿児島中央駅を何時に出発するのが良いだろうか。