May 25, 2012

FATHER'S FATHER



今日発売の『暮しの手帖』に掲載されているぼくの連載「今日の買い物」第三回の旅先は松山。その際に 伊丹十三記念館で偶然にも伊丹万作展を観ることができた。字数が足らず 詳しく書けなかった「企画展示室入口に掲げられた伊丹十三の言葉」を以下に引用する。ぼくにとっての伯父さん的人物のひとりが語る「父」。1995年9月2日に執り行われた「伊丹万作五十回忌」で 伊丹十三が息子に披露した話だ。
フランスのラカンという人によれば
父親の役割は何かというと
「父の父」の言葉を、子どもに伝える ”中間”
であるということらしいのね。
ボクは、その父の父の言葉をですね
子に伝える役割を持っているわけ。
今日は、諸君のおじいさん、つまり「父の父」
伊丹万作さんの五十回忌です。
それでまあ、簡単にお話しますが…
伊丹万作は
自分に誠実な人であった。
自分に非常に厳しい人であった。
自分に嘘のつけない人であった。
彼が生きていた時代というのは
生きることが非常に辛い時代だったわけです。
その頃はちょうど日本が戦争に突入していく
全体主義的な傾向で、軍国主義の国家を
作ろうとしていた時代だった。
本当に自分に誠実な人が、そういう時代に
生きていこうとすると、まず権力というもの
あるいは権力に盲従する日本人というものを
批判しなきゃいけなくなる。
当時の情勢としては非常に難しいことを
やらなきゃいけないという立場に
自分から身を置くことになるんですね。
で、彼の作品を一貫して流れているのは
「全体主義的な国家や社会が、個人の自由
とか権利とか幸せとか尊厳とかってものを
権力でもって踏みにじろうとする時
個人はいかにして、自分に誠実に生きる
ことができるだろうか」
というテーマだと思うんですよ。