郵便受けに『ニューヨークの川端実』が届いていた。
去年の春 引越しの荷造りをしているときに
窓際に積み重ねておいた本が 水に濡れて
ダメージを受けていることに気づいた。
冬の間の結露のせいだ。
ページがくっついてしまい開けないものもある。
しかもそれが 特に大切なものばかりだったから
心の底から 自分の管理の悪さを呪った。
そんな話を友人としていて
例えばどんな本が駄目になったのかと訊かれ
サイ・トゥオンブリーの画集とか エド・ルシェの作品集
中でもいちばん悲しかったのは 川端実と答えた。
すると 彼はまったく予想もしていないことを言った。
家の書庫のどこかにあるはずだから
もし片付けをして出てきたら それをあげるよ。
ぼくが持っているよりも きみが持っているほうが相応しい。
あまりに唐突で飛び上がらんばかりの話に 耳を疑ったし
正直 実際にそうしてくれるとは思っていなかった。
過度の期待はせず 気持ちだけありがたくいただいておこう。
しばらくして「見つかったから 住所を教えて」と
連絡があった。そして郵便が届いた。
久しぶりに手にした『ニューヨークの川端実』を
見るでもなく ただ撫でまわしていたら
はらりと二つに折った紙が ページの間から落ちた。
川端実展を告知するチラシだった。
1992年4月7日ー5月10日 京都国立近代美術館。
京都に出かけ 会場で買ったものかもしれない。
川端実という抽象画家の存在を知ったのは
原田治さんの『ぼくの美術帖』を読んだときだが
1982年にパルコ出版から刊行されたこの本を
ぼくが手に入れたのは90年代に入ってからで
京都で回顧展が開かれた92年よりも後だと思う。
そもそも 原田さんの『ぼくの美術帖』だって
きっと好きだろうから読んでごらんと
別の友人が贈ってくれたものなのだ。
ぼくは『ニューヨークの川端実』の所有者に
本当に相応しい男なのだろうか。
お礼の言葉に添えて友人にそう書いたら
すぐに返事が来た。
「モノにも意志があって 行くべき所に行くのです」
今度こそ大切にしないと 罰が当たるに違いない。